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エペルネのシャンパーニュ、ボーモン・デ・クレイエールのエチケット、そしてミュズレが変わりました。

エチケットは、その外形は先代の雰囲気を留めていて、あぁ…ボーモンだ、と一目でわかるが、良く目を凝らすと自体やら全体の印象がまるで違う。

高級なメドックのような雰囲気のデザインなのだ。押し出しも強い。超高級シャンパーニュに引けをとらない。

で、味は?

これはピノムニエ主体の玄人好みな渋みと濃さにさらに磨きが掛かっている。これまたすごい。

新旧どちらを選ぶか、といえば、文句なく新。

洗練度が増した、大人のシャンパーニュだ。

思えば、このコーポラティブ・マニュプランを初めて飲んだのは、二年半程前だったかと思う。

醸造を始め、日本にも上市し始めたのが確か2004-5年くらいからのシャンパーニュだったが、ネゴシアン系にはない柔らかなおだやかな味わいに感動したことを、いまもすごくよく憶えている。

酒蔵だって学習と成長を怠ってはいない。フランスの片田舎の生産者協同醸造組合だって忘れてはいない。

それをおもいしったのでした。
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by k_hankichi | 2009-07-27 21:13 | | Trackback | Comments(0)
この週末は、初めてこの人の作品を読みました。

「飆風」。

鬼気迫る。というか、常人と狂人の狭間。いやいや、狂人。

芥川や太宰のような短き呟くような文体にして、現代に生きる男を表す。というかそのまま自分を語っている。仕方なしに生き、でも崖っ淵に生きる自分を。

自分のすべてを投げうつ。他者のことも、お構いなくなげうつ。ずったずた。驚き、ため息がでる。石田衣良に彼の爪の垢煎じて飲ませたい。

このひとのかいた「私の小説論」。これも凄かった。

『…人は日々、持ち時間を失って行くということ、つまり老いて行くこと、これが最大の「淋しさ」です。』

『作家になるには、まず何よりも「人間を見る目」「人間を意地悪く見る目」が必要です。』

『小説は、小説を書くことによって、まず一番に作者みずからが傷つかなければなりません。血を流さなければなりません。世の中には、まず一番に自分を安全地帯に隔離しておいて、小説を書こうとする手合いがいますが、そういう人にはよい小説は書けません。』

「密告」も読み、今、「赤目四十八瀧心中未遂」を読みすすめている。息もつかずに。自分を恥じながら読みすすめている。

多分、奥野健男が太宰を読んでいる時の気持ちはこんなんだったのだろう。

真夏の日差しの屋根のしたで、溶けそうな脳が触発される。扇風機の風がぬるい。

飆風 (文春文庫)

車谷 長吉 / 文藝春秋

赤目四十八瀧心中未遂

車谷 長吉 / 文藝春秋


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by k_hankichi | 2009-07-26 17:49 | | Trackback | Comments(0)

任天堂の成功

「任天堂 "驚き"を生む方程式」井上理著、日本経済新聞社刊

会社の友人が、これを読め、と置いていった。一気に読んで感心した。

一時期はソニーのプレイステーション1,2に完敗した同社が、世界不況をものともせずに、いかにし国内製造業で営業利益首位に躍り出たのか。

DS, Wii, DSiの一連の製品コンセプトの明快さがやはり鍵なのだということがよくわかる。

子供や若年層、ゲームオタクだけが楽しむ遊びではなく、家庭の主婦までもが受け入れる機能。

高性能だけが命ではなく、枯れた技術で魅力的製品を設計する力や想像力。

ゲーム市場の伸び鈍化をみながら、詳細なマーケティングもおこない、あらたな機能の創世で購買層をひろげる戦略をとった聡明さ。

最後に知った社名の由来や解釈。

「人生一寸埼が闇、運は天に任せ、与えられた仕事に全力で取り組む。」

先代社長の座右の銘も決まっている。

「失意泰然、得意冷然」

カルタ屋、遊戯物屋の真骨頂だ。

任天堂 “驚き”を生む方程式

井上 理 / 日本経済新聞出版社


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by k_hankichi | 2009-07-22 08:02 | | Trackback | Comments(0)

「あか銀滴」完飲。

宮崎県日南の王手門酒造の芋焼酎

宮崎の紅芋仕込みだと、「赤霧島」が有名ですが、あれに引けをとらない美味さ。

却ってまろやかかもしれません。しかも安価。

飲み終えてしばらくたつのに、まだその味を懐かしむ気持ちがこみあげてくる、沸き上がる。

もうひとつので不思議な魅力。それは瓶のラベル。

松竹梅、月鶴、と、これでもかと縁起物があしらわれ、さらにせせらぎの傍に親子がたたずむ。そして次のような和歌が書き添えられている。

『銀も金も玉もなにせむに まされる宝子にしかめやも』

(しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも)

山上憶良の万葉集の歌。

子供には勝てないが、銀に匹敵すると言うことか。

お薦め度
☆☆☆☆☆
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by k_hankichi | 2009-07-21 07:32 | | Trackback | Comments(0)

「身の上話」

佐藤正午さんの新刊「身の上話」(光文社刊)を読了。

この作家のアプローチのひとつになっているとおもうが、ある一つのなにげない行動や所作をきっかけにして、自分の人生が大きく転換してしまうストーリーで、ああ、こういう長大なプロットを仕込むことがほんとうに巧みだなあと感心する。

2000年の作品「ジャンプ」では、りんごを買いに出かけます直ぐに戻ってきますと彼のところから去った一人の女性を捜す物語。

今回は宝くじを買いに行ったところから始まる、まったく予想だにつかなかった人生の展開(転落?)。

「身の上話」が題名になっているが、過去の出来事を人に語る、というスタイルだからで、ちょうど最近読了した「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク著)と似た感覚に陥る。

身の上話というのは、それはそれは大変だったよねえ、と相手がしたことを肯定しつねに相槌をうちつづけないかぎり話してもらえない類の話であり、また、語り手は取り返しようのない事実として既に自分のなかに落とし込んだもの決着をつけたものとして語る。

身の上話はそれゆえ”決してそれを否定してはならない”という不文律があるものなのだということに気付いた。

他の人から見ればなぜそんなことをしたのか、と言われるようなことでも、そうなってしまったのは仕方のないことはたくさんある。自分の胸に手をあてて考えてみて、そういうことをなんとはなしに納得した。

身の上話

佐藤正午 / 光文社


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by k_hankichi | 2009-07-20 17:40 | | Trackback | Comments(0)

なつ二読書

月刊新潮8月号の、辻邦生・北杜夫のパリ東京往復書簡集、読了。

北杜夫が芥川賞を取った頃合いのものでたいそう読み応えがあるものでした。

なかでも、辻邦生の手紙のなかの次の記載が良かった。

「詩人(広い意味の)は一つの透明な球の中にいるようなものだ。彼はこの球の内面にうつる世界を描くほかない。そしてただそれだけが詩人が詩を形象する仕方なのだ。………こうした球となった世界を持つことが詩人の資格であり、外界はただこの球にうつることによってしか詩にならない。この球の外に出たら新しい世界があると思ったら大間違いでそこには詩はない。詩人(作家)の成長は、ただこの球の中にいるままで、球を成長し、ふくらましてゆくほかない。」(1960年5月30日付 書簡より抜粋)

この先に辻邦生が作家として大成するサンサシオンがすべてここに詰まっているように思いました。
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by k_hankichi | 2009-07-20 16:44 | | Trackback | Comments(0)

なついち読書

僕のなついち読書は、これから始まりました。

「朗読者」ベルンハルト・シュリンク著
映画「愛を読むひと」の原作ですが、回想を基調とした語り方で、非常に静かに心に染み入るものでした。

ケイト・ウインスレットがアカデミー賞・最優秀主演女優賞を取った演技が目蓋のうらに描き重なり、とよんとした頭になります。

時間の流れがゆったりしていながら、シーンはあっという間に数年、いや数十年飛び去ります。

語り手にとって、相手の存在は時間を越えたものなのだということがよくわかります。

私小説ではないと思いますが、いろいろなできごとから時間が経ってしか書き得なかった小説なのだと思いました。

朗読者 (新潮文庫)

ベルンハルト シュリンク / 新潮社


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by k_hankichi | 2009-07-20 15:52 | | Trackback | Comments(0)

酒飲みの反省

昨晩は友人と酒のみ談義。

互いに仕事や日常のことをああだこうだ言いながら、いつものように「ガンバロウ」ということになる。

ここまでは良いのだが、しまった、となるのはそのあと。

酒のラインアップや値付けについてお店なマスターに、こうしたほうがよい、などと並べ立ててしまう。

こちらが客だから黙っていろいろ聞いてくれたのだろうが、いまから思えば、大きなお世話。良かれと思って言ってても、お店はお店で何らかのポリシーがあってのこと。

反省しきり。
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by k_hankichi | 2009-07-17 07:49 | 一般 | Trackback | Comments(0)

「アーロン収容所」

会田雄次著、中公新書

1962年に出版された新書ですが、今現在でも西洋を理解するための一観点としてよく引き合いにだされています。学者さんだけでなく経営者のなかにも推薦するひとがいます。

太平洋戦争後、ビルマで英国軍捕虜として二年余り抑留された際の経験がベース。各国の人々の自他への価値観、ものの見方考え方がとても鋭く描かれています。英国人、インド人、ビルマ人、グルカ人、そして日本人。

英国流の帝国主義というものは「主義」というよりも物の見方考え方の原点のように思いました。自己だけを繁栄させることが第一原理。植民地や奴隷はそのための道具にしかすぎない。自己、自国以外はそれを支えるしくみのひとつであり、そこにいる「人」は英国人にとっては「動物」とおなじとみなしています。痛めつけず上手に使役をさせるのです。かれらはそうやって大英帝国主義を貫き、世界を制覇してきたのです。

英国人やインド人について書かれていることは、僕のこれまでの経験(海外で、そしてビジネスのなかでの交渉や協業で)のなかでも、彼らの視線や態度の理由をよくあらわしているとおもいました。とても腑に落ちる。なるほど、と合点がいきます。

一方、日本人がもっている価値観のひとつにある「相互愛」は、彼らのもっている「相互愛」とは全く異なることも感じました。日本人は、階層に関わらず分けへだてなく人を愛することができる、西洋には無いすばらしい平衡感覚、平等感覚がはじめから備わっていると思うのです。直江兼続的な愛もあります。

西洋のひとたちが僕らをどのように見ているのか、ということを知りながら、西洋に対応していく必要がある。その意味で油断していてはならないのですが、一方僕らは日本人のもつ独自の価値観を貫いていくことがやはり大切なのだ、とつくづく感じました。大英帝国主義が破綻したいま、これからは東洋的な、仏教的儒教的な、万物愛の思想が、世界を仲間にしていく、牽きつけていく秘訣のように思います。

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 (3))

会田 雄次 / 中央公論新社


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by k_hankichi | 2009-07-15 07:14 | | Trackback | Comments(0)

シェーンベルクの浄夜

カラヤン&ベルリンフィルのこの曲を聞くのは、多分25、6年ぶりだと思う。

学生時代に父親の部屋で電灯点けずに暗くしたままこの曲を繰り返し聴いたことを、そのときの心境まで思い出した。

新ウィーン学派シリーズのひとつなのだが、この近代音楽が、これほどまでに叙情的なことを知り、とても驚いたのだった。

オーケストラも、たぶんこの曲を弾くことが楽しくて楽しくて仕方がなかったのだろうなぁ、とおもうくらい伸び伸びとした演奏。

真骨頂、という言葉はこのためにあるのかもしれない。

シェーンベルク:浄夜

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) / ユニバーサル ミュージック クラシック


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by k_hankichi | 2009-07-10 21:41 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち