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カテゴリ:美術

  • ウィリー・ロニの写真
    [ 2011-09-05 07:30 ]
  • ルオー
    [ 2011-06-03 07:38 ]
  • 脳が疲れた・・・マグリット美術館
    [ 2011-05-29 00:08 ]
  • カンディンスキーの絵から聴こえてくるもの
    [ 2010-12-05 13:35 ]
  • 再訪したいクレーラー・ミュラー美術館
    [ 2010-11-27 21:15 ]
  • ルイス・ティファニーの花瓶
    [ 2010-07-11 11:38 ]
  • ルーベンス
    [ 2010-06-11 15:45 ]
  • ついに、ゴーギャン展
    [ 2009-09-17 09:11 ]

ウィリー・ロニの写真

古本屋巡りをしていて出会った写真集だったが、なんとも渋い味がした。ウィリー・ロニ(Willy Ronis)。

すこしまえにはフランス写真家5人衆に数えられたらしく(ほかはイジス、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ブラッサイ、ロベール・ドアノー)、なるほど、生の歓びや哀愁、愛と情熱が溢れている。

過ぎ去りし瞬間、美しき記憶を切り取ったものに触れる。そんなふうな時間が好きだ。

『Willy Ronis 1934-1987』
中村浩美解説、トレヴィル社刊

WILLY RONIS 1934‐1987

Willy Ronis / トレヴィル

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by k_hankichi | 2011-09-05 07:30 | 美術 | Trackback | Comments(0)

ルオー

水曜日の朝日新聞夕刊に、『ルオーと風景』展の案内が載っていた。絵をみてはっとした。

『キリストと漁夫たち』(1947年ごろ)…後年、作品は怒りや悲哀から神や自然への賛美を表現するものに変化していった。そこに描かれる情景は「聖書風景」と呼ばれ、穏やかさに満ちている。

なんだかいま、僕らの時代に求められているものと同じような気がした。

by k_hankichi | 2011-06-03 07:38 | 美術 | Trackback | Comments(2)

脳が疲れた・・・マグリット美術館

ブリュッセルの王宮の横にマグリット美術館(Musee Magritte)が出来たと聞き、帰路の飛行場に向かう途中に訪れた。展示室は4階から1階まで順番に降りていくつくりになっていて、若い時代から亡くなる間際(1960年代)までの作品を通して観ることができる。あの、シルクハットおじさんや、木々が人体に化身したような作品、砂浜や山頂に埋まるさまざまな物体、鳩のイメージ、雲のなかに球や岩が浮く不可思議な絵、魚がつったっている姿、など、いわゆるあのシュールリアリズムである。

観ているうちに、だんだんとこちらの頭のなかがいっぱいになってきた。題名と絵が一致していなかったり、どういう意図なのか、なぜここにこれが繋がっているのか、などさまざまなことを考えるから脳神経がぐちゃぐちゃである。心身を休めるどころかその逆になってしまった。

絵は心やすらかな時に、すこしづつ(必要であれば日を変えて)みるぐらいが良いのだった。


by k_hankichi | 2011-05-29 00:08 | 美術 | Trackback | Comments(0)

カンディンスキーの絵から聴こえてくるもの

カンディンスキーの絵に、初めて惹かれたのは、確か、バッハの無伴奏チェロ組曲が入っているレコードのジャケットからだった。

だれが弾いているものだったかは、今となっては思い出せないが、そのジャケットの写真とその絵からは、音が太く共鳴して響いてくる。それが頭の奥に残っている。

確か、"Composition VIII"[http://www.wassilykandinsky.net/work-50.php]という絵だった(1923年、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館蔵)。直線と円からなる絵。鋭さと丸さのバランス。幾何学的な鋭敏なフォルムから響いてくる音は、具象的な散文的な感じがする。その連なりは美しい旋律になる。

彼は若き頃は、直線と円ではなく、幻想のなかにあるような絵を描いていた。"Impression lll (Concert)"[http://www.wassilykandinsky.net/work-170.php]だ(1911年、ミュンヘン・レンバッハハウス美術館蔵)。ドイツの前衛芸術「青騎士」グループの一人としての作品だ。シェーンベルクの初演に触発されたこの作品からも、まばゆい光と音の交錯が聴こえてくる。

※彼の初期のこれらの絵は、三菱一号館美術館で、いま展示されている。『カンディンスキーと青騎士展』。

by k_hankichi | 2010-12-05 13:35 | 美術 | Trackback | Comments(0)

再訪したいクレーラー・ミュラー美術館

いま開催されているゴッホ展で、友人は、蟹が裏返しになった絵に感銘したと言っていた。後ろ向きざまに種をまく人や屈んだ姿や、ねじった体位の美しさに魅せられた画家からすれば、蟹に内在する本質は、まさにその裏側にあるグロテスクさと猥雑さにある、と見抜いたのだろうか。その裏に息を殺しながら内在する秘密や企み。潜む陰謀のようにねじれた心と生きざま。

自分の生きる意味を求めながら20歳台の半ばに画家をこころざし、ミレーの一連の「種まく人」を見習いながら、来る日も来る日も写実を練習した。印象派からのエネルギーももらいつつ、ようやっと画壇に認められ始める。しかしやがて、自身の目に見える景色や人、物事の光と影に幻惑されていく。ゴーギャンとの短い蜜月は破綻する。

療養院での抑圧はさらに、自分を追い詰め、外界を見る目には、鋭敏な光と音が交錯するようになる。そしてわずか37歳で自らの生を絶つ。その短くも熱い湧き出る才能と心境を推し量るだけで、胸の奥が重い。

かつて一度、オランダのクレーラー・ミュラー美術館を訪れたことがある。深い緑に囲まれた場所に位置するこの館で、屋外の彫刻・彫像群に見入って感銘を受けたものの、ゴッホの記憶がとんとない。しかし今回の展覧会は、そのかなりの点数がここから来ているようだ(同館には272点のゴッホが有ると分かった)

ああ、ここを再訪したい。ゴッホが生を受けたこの国の精神の粋を、きちんと浴び、知り摂りたい。

by k_hankichi | 2010-11-27 21:15 | 美術 | Trackback | Comments(0)

ルイス・ティファニーの花瓶

アール・ヌーヴォーのエミール・ガレの花瓶が好きだった。写真集も持っていた。花のことは深くは知らないけれど、花瓶のデザインの奥深さには、魅せられていた。『ベルエポック』という、彼がデザインしたボトルに入っているシャンパンのことも、だから、好きだった。

そんななか、ティファニーの花瓶が、現れた。ティファニーといっても、宝石商で成功したチャールズ・ルイス・ティファニーではなく、その長男のルイス・コンフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany, 1848~1933)のことだ。

初めて観たのは、ニューヨークのメトロポリタン美術館。その1階の、あまり人が訪れないウイングに、それは在った。ひっそりと息を殺しながら佇む、花形の花瓶。ほんとうの花のように静かに、見出されることを待っていた。誰にも見つけられなかったら、何日も何ケ月も何年も、そこにただひっそりと、鎮座していたのだとおもう。

そして最近も、こんな作品を残していることを知った。何点も、そういうものが連なる。息がちょっと止まるほど、生き生きとしている。なまめかしくもある。リアルさというのは、時に妖艶さに繋がるものだ。

しばらく、この、吸い込まれるようなデザインに、魅せられつづけるだろう。

花形花器(1900年頃).
写真出典:http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ngv,_louis_comfort_tiffany,_jack-in-the-pulpit_vase,_1913_circa_01.JPG
Picture taken by Sailko, 16:57, 25 March 2009. This file is licensed under the Creative Commons Attribution 2.5 Generic license.

by k_hankichi | 2010-07-11 11:38 | 美術 | Trackback | Comments(0)

ルーベンス

とうとう、その絵を見ることができた。昨日の会議の昼食時間帯、そそくさと会場を後にし、眼と鼻の先にあるノートルダム大聖堂に向かった。

その中に、その絵は、静かに、でも、熱いなにものかを保ったまま、僕を見下ろしていた。「キリスト降架」。磔から降ろされるイエスは、がっくりと首を傾けている。だれに対してでもなく、ただただ、自分の信じることを、無言のうちに、示しているのだ。

磔に処されたキリスト。罪を背負わされ、それを一手に引き受けた。「悪者」と烙印を押され、侮蔑の言葉を浴びせられた。いったいそれから、どれだけの年月が経たのだろう。いまのこの世の中は、そのときと、実は、何の変わり映えもしていないのではないのか。悪もの探し、批判と嘲笑、いとも簡単なる裁き。

僕の靴音は、大伽藍のなかにこだまし、その響きが残った。僕の心もそこに残った。僕は、その心をそこに置いたまま、教会を後にした。


http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rubens_cross_b.html

by k_hankichi | 2010-06-11 15:45 | 美術 | Trackback | Comments(4)

ついに、ゴーギャン展

先週は、待ちに待ったゴーギャン展を見に行きました。ボストン美術館が初めて館外に貸し出した「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」も展示されています。

やはりタヒチの絵が圧巻でした。

タヒチの風景のなかに佇む土地女の色香とともに、その周りの草木の葉がさざめき擦れる音、犬の吐息、虫の音が聴こえてきました。

低い姿勢で(しゃがんで)じっとこちらをじっと見つめる二人の女もいます。密やかに囁く声が聴こえてきました。

ゴーギャンの絵からは音が、自然のざわめきが聞こえるんだ。このことには驚きました。

その音や囁き声は、じっとみつめていればいるほど気持ちが身体から遊離して、あちらの世界に入り込む感じがします。そしてあちらの世界の出来事が良く心に伝わる。じーんとした感じがしてくる。

あの大作のほかにも沢山の心打つ作品。「エ・アレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」、 「テ・パペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)」、「小屋の前の犬、タヒチ」、そして、暗くて沈鬱でしかし確実な「ノアノア」連作版画。

この初体験は感動ものでした。いつまでもこのことは深くしずかに記憶しつづけることでしょう。

by k_hankichi | 2009-09-17 09:11 | 美術 | Trackback | Comments(0)