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カテゴリ:一般( 263 )
七人の天使に見守られ
今日はお祝いの席に招かれた。七人の天使に見守られて無事に挙式が執り行われ、しあわせというものが、どのような処にもあるのだということを感じ入った。

若き二人の馴れ初めの若々しさや、育て上げられたそのことへの感謝の気持ちの自然なる表現に接しているだけで、何故か涙が溢れでる。

それはそのまま涙腺から口に入ってきた。混じりけの無い透明なる純粋というものは、こういうものなのだと、深く考えてみる必要もなく伝わってきた。

精霊に触れるということはこういうときなのかもしれない。

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by k_hankichi | 2017-03-18 21:26 | 一般 | Trackback | Comments(2)
仕切り直しをした朝
昨日は、ざわざわ、わさわさとした状況に陥らされていた。思い返せば、こういうことを「翻弄される」というのだと気付いた。弄ばれるほうはたまったものではない。

人間とは恐ろしいものでそんなときの憤りの気持ちを向こう見ずにもブログに書き連ねてしまったりもする。翌朝起きてみて、あれまあこんなにも邪な事柄を吐露していたかと、慌てそれを消し込むのだけれども記憶は簡単には無くならない。

ジュリアス・シーザーの時代の最も重い刑が「存在抹消の刑」と称して、罪人が生きてきた記録などを全て消去するものだった。

→ https://en.wikipedia.org/wiki/Damnatio_memoriae

既に亡くなっている過去の人たちに対しても言い渡されるときもあったそうで、その場合は全ての石碑や記録媒体から、その人の言葉やら成し遂げてきた事柄の記載が削り取られ、歴史上もその人は存在しなかったことにするものだった。

それでも人間の記憶は大したもので、そうやって消去された人々はどんな人だったか、ということが何百年も経ても忘れ去られておらず、だから無かったことにするということがどんなに大変なのかが分かる。記録物から消し去られても人々はしっかりと記憶していて、誰かがちゃんと伝えてくれる。だから僕が陥った事柄についても、自分だけでなく誰かがきっと思い出してくれるだろう。

そんなことをつらつら考えながら、まあそうは言っても今朝は仕切り直しだ、一からやり直しだ、と気概も新たに仕事に臨むのだ。

記憶は時折頭をもたげたりするだろうが、理念や理性でそれはまたおさえこまれてゆく。意識的に腑に落ちるように出来るのも人間の凄い業だなあと、自分のことながら改めて感心した。
  
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From: https://en.wikipedia.org/wiki/Damnatio_memoriae

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by k_hankichi | 2017-03-17 08:01 | 一般 | Trackback | Comments(0)
引っ越しに没頭する
二十年ぶりの引っ越しは堪えた。

今まで暮らした家の最後の片付けと掃除まで、しっかり行うだけでも、身体の節々に負荷が入る。

ようやく終えて、これからが新居の中のたたずまいを整えるとき。

書棚に取り掛かってみて、はて?と思ったのは、やっぱり何年何十年経っても、大切に思う本の順番は変わりないなあ、ということ 。

本の並びにこそ、気持ちが表れるものはない。

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by k_hankichi | 2017-03-12 22:27 | 一般 | Trackback | Comments(6)
身辺を潔くするということ
居宅の引っ越しを久しぶりにやってみて、身辺に溜まった様々な物がなんと多いことなのかと愕然とした。勿体ない症候群ではないのだけれど、書籍、CD、押し入れの奥に入っていたLPレコ―ド、写真アルバム、映画や音楽会のパンフレットなどなど、出るわ出るわ。

このあいだ書籍やCDの大棚ざらえ処分をしたばかりなのにである。

「これからの家訓は断捨離にする」

このあいだこのように家人たちにぶちまけた言葉に対して、ノーレスポンスだった意味が、ようやく分かった。

自分からして身辺をもっともっと、潔くしなくては。

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From: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Duanshelis.jpg
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by k_hankichi | 2017-03-04 23:15 | 一般 | Trackback | Comments(2)
恥ずかしさの愉悦への変換。愉悦の哲学への変換。
パソコンや携帯電話で急いで文や文字を送ったとき、しばしば意図せぬ文字が送られていて恥ずかしくなったり当惑したりする。

「お願いしまふ」
←「お願いします」

くらいならば可愛い。このあいだは、

「これは実物でしょうか、それとも複線入試でしょうか」
←「これは実物でしょうか、それとも複製でしょうか」

となっていて、どうしてこんな単語になっているのか理解不能だった。誤変換が「替え玉入試」だったりしたら始末に終えぬ。仕事メールではなかったので胸を撫で下ろす。

しかしまてよ、と思った。

こういう不思議な言葉が生まれるのは、深層心理が関係しているのかもしれない。いやきっとそうだ。

「ベルグソンを読みたまえ」

小林秀雄も、先の本で言っていたっけ。

愉悦は哲学に繋がってゆく。

■アンリ=ルイ・ベルグソン
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by k_hankichi | 2017-02-08 07:49 | 一般 | Trackback | Comments(3)
疾走してゆく予感
二月に入った。相変わらず様々な事柄に追われている。今日は既に3日。あと25日しかないから三週間とちょっとだ。

師走も慌ただしいけれど、日数が短く、春への準備で忙しい如月も、疾走感ではひけをとらない。

中高生の頃は、春のクラス替えを前にして今の仲間たちと過ごす日々をカウントしていた。卒業を前にすれば、友人たちとの最後の遊びや旅行を名残惜しく過ごした。

学生の頃は進級できるかなということにもヤキモキしたし、社会人になってからは、「もうじき入社×年が経つなあ、じぶんは何なのかなあ・・・」と感慨したりした。

受験生を抱えていた頃は最終的な合否判定にやきもきし、「サクラサク」を期待する暗黙の重い空気が辛かった。

今月、そしてその結果の3月。

この疾走感を味わおう。そしてその結果の来月を楽しみにしよう。

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by k_hankichi | 2017-02-03 07:46 | 一般 | Trackback | Comments(3)
あんた、昔から車好きだったわよね
実家に立ち寄って話をしていたら、ひょんなことから自動車運転免許証返上のことが話題になった。

僕の父親はもう80歳代も最後半に差し掛かる年齢。最近世間を騒がしている高齢者の自動車運転ミスと加害事故のこともあって、そろそろ免許返上しないといけないんじゃない?ということだ。

しかし父親は、そんな諭しのことは全く意に介さず、昭和30年代の高度経済成長の時期に初めてスバル360を手に入れて以来60有余年の自動車運転歴を振り返りながら、昭和の自動車社会のことを語り始める。

彼は、おそらくいま生きている世界中の人たちのなかでも、トップ1%に確実に入るだろう長寿かつ凄腕ドライバーであり、そしてその車をなんでも自分で修理できてしまう世代の最後だと思う。

そんな父親に教育されての僕だから、自動車は自分で修理するものだと決めてかかってこれまた40年が過ぎており、「あんた、昔から車好きだったわよね」と母親から言われることになった。

母親の記憶披露独演会とあいなって、当の本人がまるっきり忘れている事柄を、どうしてそんなに覚えているのか、という、啞然を通り越して、脅威すら感じる次元の時間に突入。

たしかに、僕の車好きは父親譲りかもしれない。そして、それ以外の生きる指針のこまごまとした事柄のひとつひとつまでも、父親の影響を相当に受けていることを、改めて、しみじみと思い至った。

それほどまでに、僕という人間は単純素朴で、だから自分のアイデンティティなどというものは、有形無形なもの、あるいは、ほんとうに取るに足りないものだともいえる。
 
■"memory" by Olin Levi Warner (1844–1896). Photographed in 2007 by Carol Highsmith (1946–), Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4150818
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by k_hankichi | 2017-01-29 22:56 | 一般 | Trackback | Comments(5)
手際の良さと味気なさと
机の中であるとか、箪笥、書棚などを整理すると、気持ちが清々とする。

昨日は、先週整理した本の処分をしに、近くの一般古書リサイクル店に持ち込んだ。段ボール箱で6つ。むかしの感覚だと、査定に小一時間かかるだろうなと思って、手持無沙汰に店内をうろついていると、ものの10分ほどで、それが終わったことを告げられる。

ん?ほんとうに…?半信半疑でカウンターに向かうと、287冊で〆てxxxxx円と告げられる。「諭吉」さんも「一葉」さんも入っている。

想定以上だったので、「はい、これでお願いします」と応えれば、相手は無言のうちに書類を突き出しサインを求められ、自動的に会計に移っていく。

その店では、古本一冊一冊の値段があらかじめ設定されていて、本のバーコードを読み取ることで瞬間的にそれが計算され、たとえ数百冊であろうとも瞬く間に集計が進むと分かった。

「あーこれ、いい本なんだけどね、表紙のヤケがなけりゃねえ」
「この本、うちにもう三冊もあっからねえ、面白い本だけど、xxx円でいいかい?」

そんなやりとりを、お店のおじさんと交わせていた時代のことが懐かしい。
 
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by k_hankichi | 2016-10-23 09:10 | 一般 | Trackback | Comments(2)
本の整理に明け暮れ、大切にしていることを再認識する
たまりに溜まった本の整理をすることになり、一日がかりで仕分けをしていた。いくらでも時間がかかる。

小説類やビジネス書、雑誌などは、片付けが簡単。

一方、これはまだ読むかもしれない、と思いながら哲学書や音楽署を整えていると、全く減っていかない。

ええい、ままよ、と大ナタを振るって整理をすることにする。そう決めるとどんどん段ボールに詰め込んでいける。

何事も、決心次第なのだ。

最後に残った本を眺めていると、あれれ、結局長年連れ添った面々ばかりではないか。好みというのは、三十年も四十年も変わらないのだ。

つい先ごろ、どういう人が好きかということなどについて友人と語っていて、それについても若いころと変わらないのだということになったのだけれど、結局、こういうことがらは、変化はないのだということを改めて認識した。

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by k_hankichi | 2016-10-16 18:34 | 一般 | Trackback | Comments(2)
手配師の恍惚
故あって、家人のやる事柄を代わってあれこれやっている。

インターネットで遣り方を調べたり、どれが良いのかを画面の記載や写真から選んだり、いくつかの事務所に電話して条件を確認したりするのだ。

いわば手配師。

自分のことではないが、それを想像しながら出来るだけ速やかにかつ良き体裁でおさめてゆく。

ものごとの調整、手配ということを人に成り代わって行ってゆく。

やり進めていくうちに、自分が物凄く卓越している、あるいは、物凄く捌けているように思えてくる。

そしてハッと気付く。

これが手配師の恍惚なのだと。その恍惚は本当は錯覚なのだけれど、脳髄がすこし覚醒するようなその高揚はたまらない。

錯覚の、恍惚の、爽やかの、アカルサの、鼓動の、たましいの、せつなさの、健やか。

秋の朝だ。

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by k_hankichi | 2016-10-12 07:59 | 一般 | Trackback | Comments(0)