カテゴリ:本( 997 )

1 on 1 という言葉

「1 on 1」という言葉が経営のなかのひとつのアプローチとして流行っているらしい。人が人にのし掛かるみたいでおっかない響きだが、怖いものみたさで読んでみた。『ヤフーの1 on 1』(本間浩輔、ダイヤモンド社)。

意外にもそこで示唆される事柄は自分の弱点そのもので、想定外に呼応した。

■1 on 1では、相手に十分に話をしてもらうことが大切である。きちんと相手と向き合って話す。言葉を先取りしたり、途中で遮って自分の考えを話さない。それでは相手の学びは深まらない。1 on 1は相手のために行うものであり、自分が状況把握をするためのものではない。次の行動=問題への対処法について、相手より先に示してはならない。

■人間は、耳の痛いことばかり言われても変われない。相手本位の立場で、相手がどのようなものを目指すのかを、折にふれて思い出させたり、振り返らせたり、新たな計画をつくったりする手伝いをすること。見えたとおりに伝える、ということもフィードバックのひとつ(相手の癖、あいてのしぐさも伝えて良い)。

なかなかこの世は生き辛い。

■買い求めた「津軽びいどろ」の1 on 1。
c0193136_07365518.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-26 06:48 | | Trackback | Comments(0)
窪美澄さんの小説は、僕にとってはいつも、少しだけ得体の知れない部分があって、その本質は何なのかが掴めぬまま薄絹を隔てて読み進める、というような状態にあった。そしてまた、その中身が分からないだけに、そこには健全なる人を妬んだり、欺こうとする気持ちが隠されてはいまいか、と疑っていた。

『やめるときも、すこやかなるときも』(集英社)は、そんな気持ちを払拭させてくれるものだった。

東京に住む家具製作人の壱晴は、とあるきっかけから桜子という広告製作会社のOLと出会う。彼らは互いに惹きあうのだけれど、深い躊躇いが双方にある。年に一度、或る時期に壱晴は声が出なくなるが、その原因の事象が二人を近づけることを阻んでいる。

惹きあう力と斥力の拮抗は、どのようにして破られるのか。

それは大切な記憶を消し去るということではなく、共に寄り添って見つめ直していく、ということのなかにあった。

読みながら考えた。これは僕らの生活のなかでも、これに近いことが公私共々にある、ということを。ふたりの人、あるいは二つの集団が向き合っているときに、一歩踏み出して相容れる関係になれないとき、どのようにして互いに融和できるようになるかということを。

この作品で初めて、僕にとっての薄絹が音もなく消え去った。そしてその中にあったものに触れることができた。それは猥雑でも猜疑でもなく、とても繊細な、砂糖菓子よりも遥かに儚く壊れやすい、横に並んで寄り添って人を愛おしむという気持ちなのだ。

c0193136_23320417.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-25 06:27 | | Trackback | Comments(0)

合唱雑誌に興味津々

うたと合唱とオペラの雑誌「ハンナ」を知って、そのバックナンバーのひとつを取り寄せてみた(2014年11月号)。特集「いま、バッハを歌う意味」という、ちょっと誘われる見出しがあったからだ。

特集の内容は、古楽器、ピリオド奏法の意味合いなどのほか、合唱は発音をしっかり、という記載がある。生半可な取り組みではバッハを歌っていることにはならない、本腰をいれて厳しく対峙するのだということが伝わってくる。

そうやって背筋を正していたら、第九愛好家座談会というコラムがあり、題して「第九そこまで言って委員会!」。その破天荒さに頬が緩んで、ああ、そういう下世話さがあってもいいんかい?と思わず口走ってしまった。

硬軟織り交ぜた、実にマニアックな雑誌だ。


c0193136_21335029.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-24 06:22 | | Trackback | Comments(2)
今年の太宰治賞の小説は熱帯雨林のなかに咲く月下美人、ウィジャヤクスマにまつわるものだった。『楽園』(夜釣十六、筑摩書房)。

主人公は青年であり、亡くなった彼の祖父(戦時中に憲兵をしていた)であるが、青年は祖父に遇おうとして九州の炭鉱廃村に導き寄せられる。そこは擂り鉢の底に落ち込むような地形で彼はそこから逃れられなくなる。

「砂の女」の幻影が一瞬垣間見られるそこでは、戦時中の出来事が語られてゆく。青年自身のなかにその記憶があるのだぞと諭されているうちに、自分のなかに流れる血がジャワを記憶しているように思えてくる。

摩訶不思議な世界から逃れようとすれども、なかなか戻ることができない。ようやく街に戻っても、いつのまにかすり鉢状の廃村炭鉱に足が引き寄せられている。

やがて青年は、大切に育てられているウィジャヤクスマが開花することを夢見て心惹かれてゆく。

話を読み進めていくうちに、僕自身のなかにも彼と同じ血が流れているのだということにいつの間にか気付いていく。

追憶が呼び起こす甘美のなかにほろ苦い内省が重ねられる佳作だった。

c0193136_07230134.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-23 07:22 | | Trackback | Comments(0)
雑誌はあまり買わない。しかし知人の店が紹介されたということで、思わず買い求めた。

『ハンナ』(株式会社ハンナ刊)。歌・合唱・オペラの雑誌だ。

ページを繰っていく。ひとつひとつに驚愕する。濃いのである。歌の世界は広い。世界のどこまでも繋がる感がする。

記事は全てがこれについてのものだ。こんにゃく座のことも出ている。ちょっとおっかない。

アナログ時代の名歌手の特集もある。イタオペファンだったら堪らない。

羽生結弦のエキシビション「Notte Stella(The Swan)」の演技、音楽表現を読み解く、というコーナーもある。イル・ヴォーロというグループの歌唱らしい。各競技会でのスケーティングを比較して彼の成熟を解析する。

山田和樹が6月に振るマーラーの「千人の交響曲」についても書かれているが、交響曲についてではなく、出演する二つの合唱団の対談であるところがこの雑誌ならではのもの。お互いに真剣にライバル視している。やはりプロはちがう。

ほほえみを誘う連載記事もある。「歌い手のためのかんたんセルフケア」。歌い手が共通に悩んでいるらしい肩凝りの治し方が出ている。体操服姿の写真が妙に場違いで愉快になる。

この雑誌、今月号から月刊になるそうで、余暇がますます長くなり広がってゆく日本ならではのことか。

小学生時代に入っていた合唱団のことを思いだした。再開したい誘惑に駆られている。

c0193136_07100875.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-22 07:09 | | Trackback | Comments(2)
吉田健一の『酒談義』(中公文庫)を読んでいるが、こころがずんずんとのめり込んでいく。身体までもが持って行かれそうになる。朝から読むと心身に悪い本とはこのことで、だから早く夕方になり宵になって盃を傾けたくなる。

それほどまでに素晴らしい。


c0193136_09152898.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-19 09:14 | | Trackback | Comments(3)
新幹線やら特急列車やらで移動すると、ときおり音声で車内アナウンスが流れてくる。最近の放送は合成なのか録音なのか、聞いただけではわからなくて、もちろんそのどちらでもよいのだけれども緊張する。

「しな」が入った語り口だからなのだ。

実に美しく、そして突然そのなかに、なに食わぬかたちで「しな」が織り交ざってくるのだ。

その余韻。

うっとりしてしまう自分に恥じるのだけれど、それはさっさと引っ込められて静寂に戻されてゆく。

次はいつ「しな」をうってくるのか・・・。待ち遠しくなり、も掻く。

夜汽車のなかで待ち望む宵である。

■丸谷才一を読みながら「しな」を聴く。
c0193136_22430786.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-18 22:21 | | Trackback | Comments(3)
西に向かう車中で、丸谷さんの『別れの挨拶』(集英社文庫)を読み続けた。そのなかに「幸福の文学」という章があり、それは吉田さんの『酒肴酒』を評したものだった。

曰く、“この本には、うまい料理を食べたりうまい酒を飲んだりするのが幸福だといふことが書いてある。これは日本の文学史上はじめての事件だつた。”

それよりまえの日本の文学では食べ物について、その喜びについて、これほど深く書いたものはなかったというのだ。

“たとへば吉田さんはニュー・ヨークの朝飯屋について、「卵の匂ひがする卵や、バタの匂ひがするバタの朝の食事を出」す、と書く。われわれはもうそれだけでニュー・ヨークの朝飯屋にゐてその卵とバタを味はうやうな気になり、嬉しくなる。また、冬の新潟で食べた料理について、「それから、たらば蟹といふのが、割に大きな甲羅に美しい緑色の臓物が入った蟹が出た。この臓物はうまい。蓴菜を動物質に変へたやうな味がする」と書く。この比喩は完璧で、恐ろしいくらゐ喚起力に富んでゐる。つまり早速この蟹を食べたくなる。”

なるほどなるほど、確かにあの本を読んだとき、すぐさまにその地に出掛けたり、その食べ物を食べたくなったことを思い出した。

ところで、「ニュー・ヨークの卵の匂ひがする卵や、バタの匂ひがするバタ」と聞いて、改めてその正しさを感じた。僕もその地に暮らしていたことがあって、単純な朝のそれらの食べ物の味は、世界のどこよりも旨かった。

ニュー・ヨークのマンハッタンは、酪農王国ニュー・ヨーク州の南東の外れにあり、それら農家の朝採れ品が毎日迅速に運び込まれてくるというカラクリがあるのだけれど、そういうことも吉田さんは知っていたのかもしれない。

c0193136_09495875.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-12 08:58 | | Trackback | Comments(2)
『みみずくは黄昏に飛びたつ』(川上未映子、村上春樹、新潮社)をようやっと読んだ。

「私」のことも、騎士団長のことも、雨田画家のことも、免色さんのことも、秋川まりえのことも、みみずくは、ずっと見ていたのだと思った。

川上さんは、次のように言っている。

“人はいつだってたくさん死んでいるけれども、本当はすごいことで、その内部で何が起きているかってことは誰も体験したことがないんですね。死んだ人は教えてくれないから。一つ一つの死に、もしかしたらこれだけのことが召喚されていてもおかしくないと。見えないだけで、知らないだけで、人ひとりが死ぬっていうこたはもしかしたからこれだけのことが起きることなのかもしれない。そのようにわたしもまた召喚されているのではないかと思ったときに、この物語が私の中で現実味を帯びてくるんです。”

あの小説は、ひとりひとりが生きている、生きてきた、ということを洞窟の裏側に回って眺めているのだとも感じた。

c0193136_07500985.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-09 07:34 | | Trackback | Comments(2)
佐藤正午の新しい小説『月の満ち欠け』(岩波書店)を読了。人は死んでもその魂や記憶は次の世代に繋がっていく、ということを恋愛の中に織り込んで物語っていく作品だった。

子供の頃、絵本「ふしぎなえ」(安野光雅)の世界に虜になっていて、日を置かずに何度も眺めていた。また、母親が使っていた三面鏡の左右の鏡を並行にしてその間に頭を突っ込んで、どこまでも続く自分の顔の行く末をいつまでも見ているのが好きだった。

そういうときに、父母から祖父母、そしてそのまた昔に繋がる系譜のことを想起して、あたまがぽうっとなったりしたのだけれど、その感覚に近いものが、この小説のなかには流れていた。

何度か読み返して、人と人のつながりの不思議さに吐息をつくことになりそうだ。


c0193136_20105974.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2017-05-08 20:08 | | Trackback | Comments(2)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち