カテゴリ:本( 1063 )

『グレン・グールドといっしょにシェーンベルクを聴こう』(渡仲幸利、春秋社)を読了。これは、音楽史とグレン・グールドという人の思想にまったくもって僕が不勉強だったことが分かり、それとともに、とってもシェーンベルクの曲が聴きたくなった。

“けっきょく、グールドがえぐり出したかったものは、バッハを相手にしてもシェーンベルクを相手にしても、いずれの場合も作曲力だ。たぶん、その観点からバッハに対抗できる作曲家といったらシェーンベルクぐらいのものだとまで、彼は考えていたのだ。そうやって、バッハの楽譜から、歴史が汚した黄ばみ、手垢、シミを一掃し、その一方でシェーンベルクの楽譜が、同時代人たちによる偏見のなかから救出され、もはや、グールドとシェーンベルクの巻き込み合いは、疑うことができない。”(「プロローグ」から)

“自分も音楽も徹底して衣を剥がされる設定、それが彼のいう「孤島」なのである。(中略)さて、その「孤島」へ持っていきたいレコードの一つに、グールドはギボンズの讃美歌に次いでシェーンベルクを選んだ。つまりそのとき彼は、シェーンベルクにそれまでだれも聴いたことがなかったなにかを聴きとっていたことを、そっと告白したのである。”(「美しい音楽」から)

“シェーンベルクの音楽の美しさを味わってみたいと思ったら、自室で書きものやら難しい計算でもしながら、少しボリュームをしぼりぎみにしてBGMとして流しておけば一番である。不思議なことに、聴くともなく机上の仕事に没頭したそのときに、これまでに憶えのないほど感動的な音楽をとらえていることが多い。ぼくが、グレン・グールドの弾くシェーンベルクのピアノ曲の清澄さが、ほんとうに聴こえたと確信したのも、そういうときだった。ピアノと弦楽四重奏と語り手のための<ナポレオン頌歌>は、調性的な焦点をあちこちにもった、シェーンベルク晩年の重要作品であるにもかかわらず、あの表情たっぷりの激しさがなんともいやな曲だった。が、それがあるときまったくちがって聴こえてきた。このときもやはり、ぼくは別のことに夢中でいた。”(「BGMの魂」から)

“グールドのピアノ演奏で聴く、シェーンベルクの作品十一、作品二三、作品二五といった独奏曲にしてからそうだ。これらは審美的に澄み切っている。だれのためにも弾かれていないこれらは、ぼくたちに、こっそり聴くことを望んでいるように思われる。聴きたい者がいたならば、その者はだれにも悟られることもなく、ひとり、こっそりと聴いてほしい、と。ひとのためには弾けないほど、ひとと並んで聴くには耐えられないほど、深く降りていく音楽体験なのだから。”(同上)

“グールドのシェーンベルクに耳を奪われるかとうかは、いま言ったバッハを聴く聴き方を保持することにかかっている。グールドが弾くシェーンベルクのピアノ独奏曲集をBGMに流しておき、作品二五<ピアノ組曲>に来てはっと耳をそばだてるチャンスをつかめたならば、以降、シェーンベルクは聴こえてくるだろう。一回性が、たえず未来において反復されていくだろう。反復の意志は、いまこのときにおいて、未来の域で生じている。”(「エピローグ 反復、かけがえのないものへ」から)

こういう緻密で、しかも深い造詣に基づく音楽評論に久々に触れて、とても清々しい夜になった。
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by k_hankichi | 2017-11-16 22:34 | | Trackback | Comments(4)

たゆたわず、霧消す

「たゆたわず、霧消す」という感じだった。読了した『たゆたえども沈まず』(原田マハ、幻冬舎)の一言感想。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホとその弟テオ、そして、日本の浮世絵を西洋に売り込んだ画商たちとの交感を描いた小説なのだけれど、筋書きがあらかじめ決まっているような、驚きや発見を味わうようなところがあまりない作品だった。

小説の題材に、美術や画家たちの生き様を取り扱うのは難しいなあと思った。

絵画そのものが物語る、発露する力に負けるのだ。

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by k_hankichi | 2017-11-15 07:27 | | Trackback | Comments(4)
雑誌『文学界』の2013年8月号に収録された中編評論「小津安二郎外伝 〜四人の女と幻想の家〜」(照井康夫)を読了。そうだったかもしれない、という、うすらうすら予測していたことが、そこに明らかにされていた。密やかにはぐくまれていたもの、抑えても抑えきれない気持ちが伝わってきて、とても心に重く沈降した。

男はそうなるものなのだ、抗えない甲斐性なのだと思うとともに、凄惨な戦争の記憶からうなされる毎日から逃れる術だったのかもしれないとも思った。至高の芸術の出所には、こういった私生活があったことを前にすると、もう、何が何だか分からなくなってきた。

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by k_hankichi | 2017-11-14 21:38 | | Trackback | Comments(4)

笠智衆の回顧録を味わう

小津映画が観たいなあと思いながら、最近スクリーンで観られる機会がどんどん減っているような気がする。そんななか、笠智衆の回顧録『小津安二郎先生の思い出 大船日記』(扶桑社)というものが出ていることをようやく知って、ネットで古本を買い求めた。これは肩肘張らずに語られた言葉を起こしたもので、読む方にとっても肩の力を抜いて読めるもので面白かった。

“娘の結婚式の後、一人で家に帰った僕が、椅子に座って、リンゴの皮を剥くのがラストシーン。背中を丸め、黙って皮を剥く。娘を手放した父親の悲しみがよう出ているちゅうことで、たいへん評判になった場面です。ただ、あれは先生の思いどおりの場面ではなかったのです。あのカットの撮影で、先生は僕に、「笠さん、皮を剥き終わったら、慟哭してくれ」と言われました。“嗚咽”ではなく、“慟哭”です。「おーっ」と声を上げて泣けと言う。オーバー嫌いの先生からそんな注文を受けたのは初めてでしたから、ずいぶん驚きました。僕はできませんでした。やってみる前から、できないことはわかっていました。「先生、それはできません」小津先生の演出に、「できません」などと答えたのは、あれが最初で最後です。先生は無理にやらそうとはされませんでした。(中略)今考えると、やるべきだったと思います。できるできんは別にして、とにかくやってみるべきでした。”(「第二章 先生ありき」から)

そういうやりとりがあったのか、ということを知って僕も驚いたけれど、作品の実際の方が、やっぱり僕自身には納得いく所作だ。実生活でも、僕もあのようになるのではないのか、と思ったりもするからだ。

それにしても、笠智衆は酒が殆んど飲めない下戸だったということを知ってびっくりした。しらふで、あの数々の居酒屋、割烹シーンを演じていたとは、いまだ以て信じられない。

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by k_hankichi | 2017-11-14 06:23 | | Trackback | Comments(2)
小説『光の犬』(松家仁之、新潮社)。またも深い感慨とともに読了した。この感覚をなんといってよいのだろうか。人が生まれ、外界と交わり、人々と交感し、気付き、愛し、愛され、時には衝突し蔑み、そして時の流れともに老いていく。

そういう、古来からずっと繰り返されてきた人類の営みは、現在もなにも変わりなく、そしてそれが生きるということなのだということを静かにしらせてくれた。

主人公のひとりが次のように語る。

“ピアノのご機嫌をはかるのにいちばん適しているのは、バッハのインベンションだった。どんなに軽やかに、適切なスピードで演奏しようとしても、どこかに弾きにくさがある。バッハは、弾くことに酔うな、と言うがために、これを書いたのではないかとうたがいたくなる。”

小説と云うものを読んでいく醍醐味というものは、こういうものなのだ。だから、何度でも読み進め、そして自分らの生きざまに対比させていく。

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by k_hankichi | 2017-11-10 20:25 | | Trackback | Comments(3)
詩人が書くエッセイが好きだ。神保町でこれまた見つけたのが『屋上への誘惑』(小池昌代、岩波書店)。

そこにも音楽についての小篇があった。

“アンコールのブラームスの途中であった。過去の延長のように感じられていた時間が、ふと、逆流してきたような錯覚を覚えた。私は今、三十七歳。いつまで生きるのか、わからないけれど、その見えない終局から、「今」に向かって、時間が押し寄せ、がけっぷちに立たされたような、気持ちになった。あと、どれくらい、こんなすばらしい音楽が聴けるだろう、と思ったのである。そのとき時間は、過去から未来へ伸びる線状のものでなく、三十七歳の今に向かって、私自身の末期という未来から、逆流してくる大河であった。”(「音楽会が終わったあとで」から)

なんと心が浄くなることなのだろう。これでよいのだと、やさしく寄り添うように言われているよう。

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by k_hankichi | 2017-11-09 07:08 | | Trackback | Comments(2)
こちらも、これまで全く知らなかったけれども、現実を真正面から突いていてとっても面白かったエッセイ。笑って堪えて、我が身を省みるところ多々あり。『クラシック100バカ』(平林直哉、青弓社)。

新聞のコンサートやCD評論を書く評論家などに対しての辛口コメントも冴えまくる。思わず拍手をしそうになる。

一貫していることがらは、自分の感性、自分の耳を信じなさい、ということ。

ときどき迎合しているだろう僕自身のことも振り返りながら、改めて、素直になることの大切さを認識した。

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by k_hankichi | 2017-11-08 06:15 | | Trackback | Comments(3)

『東京暮色』の価値

神保町で仕入れた『小津安二郎の悔恨 帝都のモダニズムと戦争の傷跡』(指田文夫、えにし書房)を読了。まえまえから喉の奥に仕えていた骨が取れたような気がした。『東京暮色』の評価などについて合点がいったからである。

“暗いというなら、成瀬巳喜男の1955年の『浮雲』はもっと暗い救いのない話だが、成瀬なら許せる。それは成瀬の資質だからだ。だが、松竹の盟主の小津にこう暗い作品を作られては、日本映画界は成立しない。(中略)もう自分はまともな人間ではなくなったという哀しみ、やり直すことのできない過去への悔恨など、多くのものが明子(注:有馬稲子演ずる)の中に浮かんでは消えているのであろう。このシーンの明子と孝子(注:原節子演ずる)の対比は非常に厳しい緊張感のある優れたシークエンスになっている。(中略)小津は、前作『早春』の金子千代(岸恵子)のような、ほんの遊びで色恋沙汰を起こす連中は許せた。だが、もう一歩現実に踏み込んだ時、明子のような悲劇になるのは当然と、厳しく戦後世代を批判していたのである。その意味では、前年に木下恵介が監督した『太陽とバラ』と小津の立場は同じだった。しかし、小津は、そこからさらに一歩先に、その根源は何かと突き進んでいる。それは、戦前の日本の大衆社会の退廃である。戦後の混乱は、実は昭和10年代の退廃にあると、この映画は言っているのである。”(「2 『東京暮色』という映画」から)

小津はやはり成瀬の『浮雲』に対してこの作品で勝負しようとしたのだと思えてならない。

一つの劇の裏には、沢山の哀しさと時代の悲劇が内包されている。

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by k_hankichi | 2017-11-07 00:25 | | Trackback | Comments(2)
おそらくあのことが書かれているのだろうと思いながら読んだのが『超一極集中社会アメリカの暴走』(小林由美、新潮社)だった。ブログ知人が読まれていて気になったのだ。

そしてページを繰るごとに、どんどんと重い気持ちになっていった。アメリカ合衆国という国が持っている超競争社会、集中と搾取の世界の構図を、だいたい知ってはいても、その現実を赤裸々に見せつけられると自分の気持ちは沈んでいった。

あとがきで、著者はつぎのように書く。

“そんな危機感が渦巻くシリコンバレーから東京へ来ると、まるで別世界です。高望みしなければ何とかなるという妙な安定感に満ちていて、とても平和に感じます。この本で書いていることが場違いに感じられ、果たして意味が伝わるのかという不安も感じます。逆にこの感覚の違いが、富や権力の一極集中を可能にしているのかもしれません。シリコンバレーは世界的に見ても特殊な地域というだけのことかもしれません。でもシリコンバレーで起きていることの影響は東京でも頻繁に感じます。”

否応もなく近づきつつある暗雲を前にしながら、僕らは出来るだけ遠くに、あるいは次元を変えて遠ざかるしかないと思った。

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by k_hankichi | 2017-11-04 18:52 | | Trackback | Comments(3)
小手先でこねくり回さない設計・製造というものはこういうことなのか、ということを読みながら思った。『フォルクスワーゲン & 7thゴルフ 連鎖する軌跡』(岡崎宏司、 日之出出版 )。

戦略の核はプラットフォーム設計。自動車産業のみならず、半導体やあらゆる製造業領域でそれが叫ばれながら、実践できているのは唯一、欧州企業だけだ。そしてVWは確実に他社をリードしている。それはどうして可能になったのか。

原理原則を極めながら、コアとなる設計には極めて科学的なアプローチで本質を具現化しようとする。少ない労働時間で最大限の成果を上げていこうという、極東の島国とは正反対の労務思想が、そのプラットフォーム設計を効率的に具現化させていく。横展開ラインアップも、すみやかに実現していく。

高度成長時代の少しあとに、日本でもその思想は体現されつつあったがしかしそのまま尻すぼみになった。それに対して欧州ではしっかりと実践され昇華されていった。半導体製造装置分野と同じく進められたことに愕然とした。

僕らが追いついたと思っていた欧州は、はるか先にいっていた。

所帯を持つ前、1年ほどゴルフ1stを所有していたあのころの驚きの感覚が蘇ってきた。

原点回帰をする時期なのかもしれない。

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by k_hankichi | 2017-11-03 20:53 | | Trackback | Comments(0)

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by はんきち