2017年 11月 21日 ( 1 )

作家の平野啓一郎さんが、最近一番感銘をした本だとしていたので思わず取り寄せて、すこし時間をかけて読了。『バッハ万華鏡 時代の激流に生きた教会音楽家』(川端純四郎、日本キリスト教団出版局)。

一番心に響いたのは、『ヨハネ受難曲』についての論考。第一稿から第四稿まで世の中に知られているということで、『マタイ受難曲』とは全く異なるイエスの姿が立ち上がってくるのは第一稿および第四稿なのだという。第二稿は音楽的統一性や完成度においては非常に高いが、何といってもヨハネ的ではないという。第三稿は、第一稿からマタイ伝とマルコ伝からの引用を削除してさらに終曲コラールを削除したもので首尾一貫した統一性があるのだけれど、バッハからすると最も不本意な稿だったのではないのかという。

まとめると、バッハ自身の願いに一番近い形は第四稿であって、その変更された歌詞だけを第一稿の歌詞に戻したものが一番よいというのが筆者の見解だ。冒頭にある「王なるキリスト」というヨハネ的キリスト論と、マタイ引用によって告白されている、弱いペドロを赦す十字架の主という贖罪論的キリスト論の二つを、最後のコラールが終末論的希望の中で統一するのがバッハが狙ったところだとする。

最後の審判の日に(これは非ヨハネ的だそうだ)、王座に座すキリストの前で(ヨハネ的なものだそうだ)、罪赦されて賛美する時を信じることによってのみ、この緊張関係を統一するとしている。そして最後のコラールを、受難曲の一部ということではなくヨハネ受難曲全体に対してのバッハの結論的解釈としてみるべきなのだとする。

こんなことまで分かって聴いているわけではなかった僕にとって、まさに眼から鱗。少し前に酒を汲み返した会社の先輩が、ヨハネ受難曲の方が重みがあって意味があると言っていたことを思い出し、そしてまた、僕もバッハをさらにさらに真面目に聴きそして触れていかねばと思った。

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by k_hankichi | 2017-11-21 06:30 | | Trackback | Comments(3)

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