2014年 08月 31日 ( 1 )

ブログ知人が、弁護士をされている弟さんの本を紹介されていて、その法律事務所に連絡して買い求めた。『わたくしは日本国憲法です。』(鈴木篤、朗文堂)。→http://pinhukuro.exblog.jp/22309347

これは非常に明快かつ分かりやすい憲法についての書で、最近進められてしまった教育基本法や生活保護法の改悪や、特定秘密保護法の制定、そしてさらには集団的自衛権の容認など、憲法の精神を踏みにじる事柄について、改めて思考と理解を深めることができた。

私=日本国憲法が語る、という形をとっている。そしてその論旨は極めて明晰である。

まず、国の役割について。
“国の役割は、そうして真理とか道義にしたがって、国民に奉仕することにあるのであって、真理や道義が自分(国家)にとって都合が悪いからといって、それをねじ曲げて、自分に都合の良い「真理」や「道義」をつくり出して、それを「これが真理だ」とか、「これが道義だ」などと国民に押しつけ、まして真理や道義を語ろうとする国民を弾圧するようなことを二度と繰り返してはならないということだ。”(「押しつけ憲法」より)

憲法改正案の虚偽について。
“つまり現在の日本国憲法であるわたくしは、日本国民を主語として書かれ、わたくしを葬ろうとしている自民党の改正草案は、国を主語として書かれ、国民は統治される対象とされているのだ。そのことによって憲法というものが、国民が権力・政府・国にたいし国民の権利を守るために制定するものだという最も重要な思想(民定憲法の思想)がぼかされてしまった、むしろ国が国民を統治するために制定するのが憲法だという思想(欽定憲法の思想)がこっそりと紛れ込まされているのだ。”(「わたくしの「前文」」より)

そして、第9条について。
“「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとっ務めている国際社会において名誉ある地位を占めたいとおもう。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」専制と隷従、圧迫と偏狭、恐怖と欠乏。これらのものこそが戦争の温床となり平和の支障となるのだ。(中略)ここで「諸国と」ではなく、「諸国民と」としていることには注意が必要だ。”(同前)

それぞれの人が陥る自分自身の怠慢についても直言してくれている。
“この国には沢山の団体がある。官庁、会社、法人、労働組合、被害者団体、各種の市民団体、自治会等々。しかしわたくしの目からそうした団体の運営の仕方を見てゐると、そこには民主主義とは相容れないやりかたが日常的にまかり通っているようにおもえる。(中略)そのように価値観と信念を持ったひとであるなら、どんな「偉い」ひとのいうことであっても、あるいはどれほどマスコミがもてはやしてもそれを鵜呑みにせず、自ら様々なひとの意見に耳を傾け、事実をじっかりと確かめた上で、ものごとについての自分の意見を形成し、その意見に基づいて行動し発言するはずである。しかもそうして形成した自分の意見についても、それが絶対だという立場に立つのではなく、新たに明らかになった事実によっては、意見を修正する用意を常に持っているという柔軟性も備えた立場に立つはずである。”(「国民自身の中にある民主主義的で無いものについて」から)

そして一人一人が陥るゴマカシについても容赦ない。
“みんなに抗して自分の独自の意見を述べることを「恥ずかしい」と感じてしまっているのであり、だから自分の本当の意見と異なる「みんなの意見」に賛成すること(つまり自分自身に嘘をつくこと)を「恥ずかしい」とは感じていないのだ。(中略)だが本当に恥を知っているなら、嘘をつくことこそ最大の恥のはずであるし、権威や権力におもねり、自己保身に走ることこそ重大な恥のはずではないか。”(「本音と建て前」より)


さいごの結語は心に、身に沁みる。

“わたくしの愛するあなたがた日本国民のみなさん、どうかわたくしを守ってください。わたくしを葬りさことがないようにしてください。わたくしはあなたがたが平和で自由な社会を築こうとするときに、無くてはならない、あなたがたのための武器なのです。どうかそれを手放さないでください。わたくしを殺さないでください。”


Saheiziさん、紹介してくださって、有難うございます。みんなに読んでもらいたい本です。

わたくしは日本国憲法です。

鈴木 篤 / 朗文堂

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by k_hankichi | 2014-08-31 10:19 | | Trackback | Comments(2)

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