新・はんきちのつぶやき
2024-03-18T08:06:13+09:00
k_hankichi
音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です
Excite Blog
甘味の眩暈
http://hankichi.exblog.jp/33285598/
2024-03-18T07:25:00+09:00
2024-03-18T08:06:13+09:00
2024-03-18T07:25:30+09:00
k_hankichi
食べ物
時間が経つに連れ永久歯に生え変わり、これからは甘いものは控えるのよと母親から諭されたけれど、甘い物好きは変えられずに今に至っている。
春になれば苺パフェが食べたくなり、夏になれば白玉あんみつが食べたくなり、秋になればプリン・ア・ラ・モードを食べたくなって、冬になればとらやの羊羹を一本丸ごと食べたくなる。
週末に行ったのは苺屋さんが営んでいるお店。旬の苺がふんだんに入っている苺パフェなどを食べて満喫した。
→https://www.cafe-hiraoka.com
食べ終わったさきから、他の甘いものも食べたくなり、これは完全なる糖尿病路線であることは間違いないが、一緒に行った家族も目を爛々とさせているから、僕を誰止めてくれる気配がしない。
甘いものの食べ過ぎは、脳から危険信号(ボーッとしてくる)が出てくるらしいから、生理的な自律自制反応能力を信頼してこのまま身も心も委ねるこことする。
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『隆明だもの』は説明になる
http://hankichi.exblog.jp/33283044/
2024-03-15T07:04:00+09:00
2024-03-15T07:04:16+09:00
2024-03-14T21:32:00+09:00
k_hankichi
本
ハルノ宵子が書いた吉本隆明全集の月報と、妹の吉本ばななとの対談などからなっている。どちらも作品そのものではなく隆明と家族とのかかわりが書かれている。月報としては極めて異色だろう。
娘たちは吉本隆明の論理的な飛躍が半端ではないことに幾たびも遭遇していることにも驚くが、そういう隆明も晩年思考はほとんど破綻していたのだということも知って、偉大な思想家でさえそうなるのか、と溜息を付く。
彼女たちが子供の頃に遊んでもらった人たちのことにも触れられている。
島尾敏雄が子供と来てその子と遊んでいた。奥野健男が来たらその子供を必ず泣かせていた。ハルノ宵子の家庭教師を芹沢俊介がしていた。
なんとまあ贅沢なことなのか。
僕は長女・ハルノ宵子によるマンガや、吉本ばななによる小説は一つも読んだことが無いのだけれど、この一冊を読んでみて、彼女らが実に伸び伸びと自由奔放に育てられ、それによってそれぞれの領域の立派な第一人者になったことだけは理解できた。
いずれ彼女らの作品も読んでみたい。
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クーベリックのモーツァルトは清澄な新しい世界
http://hankichi.exblog.jp/33281817/
2024-03-14T06:50:00+09:00
2024-03-14T06:50:28+09:00
2024-03-13T06:51:38+09:00
k_hankichi
クラシック音楽
音盤を探したらとても安価で手に入れることができ、聴き始めたらそれが素晴らしくてひたすら驚いている。
第40番ト短調の演奏はこれまで聴いたことのない清澄なもの。
第1楽章は「そーっと、そっと」というほどの極めて丁寧で労わるように寄り添ってくれる。そこにあるのは悲壮感ではなくて逆に雲間に見えるような明るさかもしれない。ひとつひとつ噛みくだくように説明してもらっているような感覚に包まれる。
第2楽章も優し過ぎず、かといって淡々としているわけではない。「何かがそこから生れる世界」のようなものを表そうとしていることだけは分かる。ある種、詩吟のような呟きに近いかもしれない。
第3楽章もまったく肩の力が抜けている。こんなに自然体な第3楽章を聴いたことが無い。
終楽章も変わらぬ均整のあるテンポと抑制が保たれ続けて締めくくられる。こんなに明るい曲だったのかと思う。演奏している奏者たちも「え?こんなんで良かったの?」と呆気に取られていたのではないのか。
この世界を知ってしまうとこれまで聴いてきた演奏が、あまりにも深刻ぶり気持ちを張り詰め過ぎであり悲愴的過ぎだったと感じる。
第41番ハ長調も異次元だった。これもまた丁寧で、決して急くことなくまた変に抑制を利かせすぎていない。中世の舞台演劇が開幕して俳優が身を端麗に動かし語っていくかのよう。王子や皇女がそこに語らい身を寄せたり擦れ違ったり、挨拶を交わしていくドラマだ。こんな拡がりがあったのかと驚く。
音盤のライナーノーツを小石忠男(懐かしい)が書いていて、ああ、まさにその通りだと納得する。
“クーベリックの考えたモーツァルト解釈、彼の感じた音楽には必須の速度といえる。だからこそ、これらの演奏はすこしも重苦しくならず、それどころかときには浮揚するように軽やかである。それはこの指揮者が音楽を自然体としてとらえていることの証明だろうが、それでいて耽溺しない客観性、音楽をぎりぎりの線で崩さない自制が、表現に格調高い気品をあたえている。”
いやはや、この世のなか、底知れぬ世界がまだまだあるのだなあ。
■曲目
モーツァルト:後期交響曲集(第35, 36, 38, 39, 40, 41番)
■演奏
ラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団
■収録
1980.6.8-10, 10.15-18
■音盤
CBSソニー 75DC843-5
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父の詫び状
http://hankichi.exblog.jp/33281262/
2024-03-13T06:36:00+09:00
2024-03-13T06:36:18+09:00
2024-03-12T12:39:24+09:00
k_hankichi
テレビ番組
音楽がそれを後押ししてくれたことは予想通りだったけれど、そもそも不仲になった決定的な切っ掛けが、実は父親側に有ったことには驚いた。
コンクールでのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲・第2楽章(ピアノ伴奏版)。テレビドラマのなかといえども僕からみても素晴らしい演奏だった。
全てを出し切った会心の演奏だったと満足していた娘に向かって、父は「あそこをもうすこしああしたらもっとよいね」とコメントして自分の仕事へ走り去ってしまったのだ。
それを言っちゃあ御仕舞よ。
悪気があって言ったのではなく、音楽の専門家としての本心からだった。しかしそれが彼女を崩壊させた。
これ以上は出来ない、ここから更にどうしろというのかという怒りと深い絶望。
このシーンは僕の心にも深く突き刺さった。自分の娘たちに、これと似たような言葉を何度も掛けてきたことに気付いたのだ。何度も、何度も。脳天気な親は俺だった。
娘たちの気持ちを慮ると、いたたまれない。いやはや、今更ながらドラマから教えられてしまった。
癒やしてくれるものは何か無いかと考えたが、それはやはり件の協奏曲で、それも並の演奏では駄目だった。
幾つかの演奏を聴いてみて残ったのは樫本大進とイヴラギモヴァ。特にイウラギモヴァの最終盤は憑き物に取り憑かれたような狂ったような演奏で吸い込まれ飲み込まれる。
以下の言葉付けて反省文としたい。
「イロイロ、イッテシマッテ、スミマセンデシタ」
■アリーナ・イブラギモヴァ(フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮、オランダ・ラジオ室内フィル)
■樫本大進(フィリップ・ジョルダン指揮、ウィーン交響楽団)
■和解
■寛解
■治癒
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『TIMELESS』は時も場所も選ばない
http://hankichi.exblog.jp/33279856/
2024-03-12T06:51:00+09:00
2024-03-12T06:52:16+09:00
2024-03-10T17:05:26+09:00
k_hankichi
本
心の赴くままに時が流れ・遡り、人と寄り添い・離れ、あちらの場所・こちらの場所、思い出が浮かび上がり・溶け去り、日々が遡り・消え去る。
気を衒っているわけでなく、気持ちの流れに従って自然に、そこはかとなく浮き上がる記憶。この感じがとても良い。
永井荷風の女の暮していた壺中庵に思い出が行ったかと思えば、江戸時代の江姫の葬儀に思いを馳せる。葬儀の沈香木の匂いが辺り一面に何日も何日も広がる。
西久保八幡宮、麻布台、六本木、代官山、日比谷入江、そして奈良。
読み進めていくうちに、夢のなかにたゆたうような心地になっていく。
その風情を表す言葉は、順三郎の詩であるかのよう。時も場所も選ばない夢幻的なる世界。
ときどきぱらぱらと繰ってページを定めずに読み返していきたい。
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「昭和を生きて来た」の本音(その2)
http://hankichi.exblog.jp/33277969/
2024-03-11T00:13:00+09:00
2024-03-11T00:13:33+09:00
2024-03-08T10:13:02+09:00
k_hankichi
本
人々の夢についての一篇にも呻った。
“私たちの生活をとりかこみ、私たちの感覚や気分を醸成してくるフィクションは、今や人生のあらゆるものにわたっていて、その靄で現実は見えなくなり、要望も気分も現実に即すよりはフィクションに導かれて生まれることが多く、したがってその欲望が充足されても必ずしも人々は幸福ではない。
(中略)どこかで、それらの夢が自分を幸福にしないと感じながら、その夢を捨てきれないというところがないだろうか?
(中略)私たちの本当の欲求は別のところにある。本当の夢は別のところにあると感じながら、マス・メディアの送り手も受け手も、従来通りの夢を投げ出すことが出来ずわ両側からささえ合って、その呪縛から逃れることが出来ずにいるということはないだろうか?
(中略)多くの人々が、偽の夢を否応なく追わされているという思いが深い。受験戦争などというのも、一つの偽の夢の結果であり「個の確立」「女性の経済的自立」「ポルノ解禁」などというのも、どこかで真の現実から剥離しているところがあるように感じる。”
(「味気ない反復の呪縛」より)
まさに現代は、人々の達成したい夢、生き方というのがステレオタイプ化していて、それに沿って生きてゆくことが幸せに思われたり思ったりしていると僕も感じる。
これに類似したことが次の一篇でも記されていた。会社員が数人集まった時の互いの感情についてだ。
“軽蔑といっては語感が強い。メンバーの、自分以外への軽いあなどり、軽いたかくり。それがメンバー相互に、ほぼバランスよくゆきわたったとき、チームの感情面はいちばん安定する。
(中略)とまあ独断的確信的に書き流したが、事はそれほど簡単ではない。まずそうしたお互いへの軽侮の底流にそれぞれが自分に対する軽蔑を抱いている。いや、もろもろの軽蔑の出発点は、自己軽蔑かもしれないのである。
(中略)かくして、お互いを軽侮することによって、私たちは結びつき、軽侮によって心を安定させる。煙草のけむりのたちこめたビルの一室で、ひと仕事終えた仲間がお互い軽侮によってつながっているのだと思うことは、物悲しいひとときである。”
(「底流にあるもの」より)
夢についても生きざまについても、自分を世のなかや他の人たちとくらべることに終始することは本当に味気ない。互いの軽侮による僅かな優越感がそれらを支えている。
その裏にはその実自己に対する憐憫や軽蔑が流れている、という山田さんの洞察はあまりにも鋭く、そしてまた本当だからこそ哀しい。
こういうことから距離を置いて生きていかないと、とんでもなく無駄な日々を送りかねない。
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『昭和を生きて来た』の本音
http://hankichi.exblog.jp/33279533/
2024-03-10T09:03:00+09:00
2024-03-10T09:04:16+09:00
2024-03-10T08:59:02+09:00
k_hankichi
本
既に読んだことのあるエッセイがかなりあったけれども、新たに出会った篇でハッとさせられる指摘が幾つもあった。
“「明るくなければいけない」「面白くなければいけない」
しかし、人生がそんなに明るく面白いわけがないから、長きにわたれば無理が出て来る。隠した暗さや弱さが自分でも目をそむけたままふくらんで行く。そして、突然「キレる」。
少年たちの暴力も、弱さや暗さ、悩みや孤独に美や魅力を見つけられなくなってしまった社会のせいも大きいのではないだろうか。
もし弱さや暗さガ格好よかったら、もし孤独や不器用がセクシーだったら、どんなに少年も親も先生も助かるだろう。
(中略)暗いアイドル、口ごもるヒーロー、病気がちのスター、物怖じするスポーツ選手、考え込むキャスターを開発すべき時代が来ているのではないだろうか。”
(「明るい話」より)
まさに現代もその延長線で、世のなかはM-1だとかR-1だとかキングオブコントだとか笑いをとる人たちへの脚光だけが目立つ気がする。
沈思黙考することを争うグランプリがあっても良い。
電車のなかで斜め向かいに座った男が周囲の人たちにバナナを勧めることについて書かれた一篇にも頷いた。
“それからが大変である。食べはじめた老人に「おいしいでしょう?」という。「ええ」。
娘さんにもいう。「ええ」
「ほら、おいしいんだから、あんたも食べなさいって」と妙にしつこいのだ。
(中略)老人が私を非難しはじめる。「いただきなさいよ。旅は道連れというじゃないの。せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」という。
(中略)よく知らない人の前でものを食べることがはずかしい、というような、四十男にあるまじき羞恥心もある。
(中略)だから貰って食べた人を非難する気はないが、忽ち「なごやかに」なれる人々がなんだか怖いのである。「同じ隣組じゃないの、我を張らないでさあ」などという戦争中の近所のおばさんの好意溢るる圧力を思い出してしまうせいなのだろう。”
(「車中のバナナ」より)
車中もそうだけれど、僕にとっては飲み屋やバーで隣の客(たち)から話しかけられそれに対応することも苦手だ。
どうして自分たちの仲間にさせようとするのだろう。共通の生活感やスタイルを見出して同士のようにさせようとするのだろう。
とにかく嫌なのでボソボソしてあまり話さずにいると、勝手に僕のことを推定してそれも話題にして仲間にしようとする。全く良くわからない。
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『落下の解剖学』は釈然としない
http://hankichi.exblog.jp/33278564/
2024-03-09T06:29:00+09:00
2024-03-09T11:19:05+09:00
2024-03-08T23:02:01+09:00
k_hankichi
映画
→https://gaga.ne.jp/anatomy/
152分という長い長い時間のなか、ああだこうだいや実は違ったと気持ちを翻弄され続け、そのあげくに釈然としない終わり方をするミステリーだった。
蓮實重彦さんでも、激オコ物ではなかろうか。
主人公の息子(目が見えない)が劇中でショパンの前奏曲(作品28の4)をたどたどしく弾いて同情を誘うのだけれど、エンドロールでは上手になって流れていて、その理由も分からないから明るくなっても腑に落ちない。
■作品トレイラー
■ショパン 前奏曲 作品28-4(ポゴレリチ)
■作品を観る前に映画館近くで入って食べたタレカツ丼。タレは美味いがヒレカツが紙のように薄くてヘルシー過ぎ何とも腹の足しにならぬ味気なさ。後から思えば映画の釈然としなさはこんな感じだった。
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『読んでいない絵本』を読む
http://hankichi.exblog.jp/33277177/
2024-03-08T07:05:00+09:00
2024-03-08T07:05:17+09:00
2024-03-07T09:12:08+09:00
k_hankichi
本
表題作含む短篇小説三篇のほか、舞台戯曲「金色の夕暮」、テレビドラマ「本当と嘘とテキーラ」、二篇のショートショートからなる。
短篇「あの街は消えた」には呻った。
時代は戦後の間もない頃。場所は恵比寿あたりの街なかの食堂だ。主人公の学生が焼きそばを食べていたら見知らぬ女から、ある家の奥さんに手紙を届けてくれれば金をやると持ちかけられた。
届ける先は渋谷の國學院大学界隈の丘陵にあった。一度訪ねるが不在だった。
落胆して自分のアパートに帰った学生はつまらない仕事を引き受けた憤慨のあまり封筒を破る。するとそこには男と絡んている若い女の裸体の写真が入っていた。生々しいシーンだ。彼は興奮してしまう。
話を持ちかけた見知らぬ女は、その行為を再びやらせようとしている商売人なのだと睨んだ。女に写真を渡して脅迫しようとしているのだ。
学生はどうしてもその女をひと目見たくなる。そしてその家を再び訪れる。
女はいた。山の手の東京弁をあやつり実に若く美しかった。学生は女に封筒を渡す。瞬間、握りつぶすように割烹着のポケットに押し込む。
家の奥から主人が出てくる。年がずっと離れている。病気だという。
主人から、妻にちょっかいを出すなと諭されてゆく。学生は謂れのない立場で窮してゆく。沈黙が続く。
主人はレコードを掛ける。レオ・フェレが歌うラ・メールだ。夫婦と学生はコーヒーを呑みながらそれを静かに聴きながら小説は終わる。
山田太一らしい展開だ。ゾクゾクした。
そしていま、その戦後まもない頃の雑然とした渋谷や女が住んでいた辺りの雰囲気は消え去り、最早どこにも無い。
この他の作品も良かったけれど、やっぱり山田の色恋物は文字通り出色だ。
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『散歩哲学』は思索家によるホッピーマラソン
http://hankichi.exblog.jp/33276633/
2024-03-07T06:53:00+09:00
2024-03-07T07:14:55+09:00
2024-03-06T14:58:57+09:00
k_hankichi
本
“・・・これから赤羽に昼飲みに行かないか?
「なぜ」と聞いてくる相手は望み薄だ。用もないのに呼び出すな、と内心思っていることは間違いない。「行きたい」という返事は悪くないが、実際には行けないことが多い。私は「一時間後なら」という答えを期待しているが、なかなかそうはいってくれない。「もっと早くいってくれれば、都合をつけたのに」という人もいるが、残念ながら、先週はその気にならなかった。”
これは俺のことがと狐につままれた気分だった。というのも、まさに年初に友人とLINEでこれとほぼ同じような内容をやりとりしていたからだ。
“いまから新宿に「PERFECT DAYS」を観に行く。君は今日はお時間あるか?赤羽あたりで、昼酒は、どうなんだい。”
“我、昼、赤羽大丈夫 連絡待つ”
ははん。これを読ませたかったのね、と本を薦められた訳が分かった。『散歩哲学』(島田雅彦、ハヤカワ新書)。
構成からして呻った。
前半は散歩の起源と歴史、文学との関わり、散歩者の心得など、ちょっと高尚な気分にさせられその効能を説いている。しかしこれは見事なカモフラージュだ。
後半に入ると都心を歩き、郊外を歩き、角打ちを歩き、田舎を歩くという章立てで、その実全てが居酒屋探訪記。執着度が違う。
大竹聡の『ひとりフラぶら散歩酒』(光文社新書)とほぼ見分けが付かない。
→https://hankichi.exblog.jp/19229346/
・十条の「斎藤酒場」「田や」
・東十条の「埼玉屋」
・池袋の「ふくろ」
・高田馬場の「ノング・インレイ」
・阿佐ヶ谷の「あっしゅ」
・町田の「柿島屋」
・西荻窪の「珍味亭」
・新橋の「立ち呑こひなた」「たこ助」「地酒ミュージアム 信州おさけ村」
・神田の「藤田酒店」
・小川町の「イチゴー」「みますや」
行きたい居酒屋がどんどんと増える。
雑誌『酒とつまみ』やホッピーマラソン企画に嵌まっていた頃の高鳴る胸が再び鼓動し始める。
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自分を信じることの大切さ
http://hankichi.exblog.jp/33276369/
2024-03-06T06:47:00+09:00
2024-03-06T06:49:08+09:00
2024-03-06T06:47:41+09:00
k_hankichi
クラシック音楽
俊平(西島秀俊)は、初めて自分の意志を父に面と向かって伝える。そしてまた、卒業した高校の後輩たちに次のようなことを語る。
“皆さんが夢を持つとき、こんなことを言ってくる人がいるかもしれません。「君には出来ない、君には無理だ、あきらめた方がいい」。何の実績も結果も出していない今の皆さんを信じてもらうのは難しいことかもしれません。でもどうか、あなたの夢を否定するその言葉に耳を貸さないでください。あなたが本当に好きな道を選ぶことで傷つける誰かがいるかもしれません。でももしも心に灯った情熱があるなら、それに従って生きてほしい。あなたの情熱をあなた自身が信じてあげてください。たとえいつかその夢が終わったとしても、自分の心が本当に進むものに従って夢中で生きた日々は、あなたの人生の掛け替えのない宝物になります。”
素晴らしいメッセージだ。
天音(當間あみ)も、初めて自分の意志を父に面と向かって伝える。それはヴァイオリンを弾くことによって。
海(大西利空)が編曲してくれたキラキラ星変奏曲を最初はたどたどしく、そして最後は見事な指さばきとボウイングでもって締めくくり、それは光り輝いた。
感涙で画面が滲んでムチャクチャになってしまった。
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シュ・シャオメイのゴルトベルク
http://hankichi.exblog.jp/33276183/
2024-03-05T22:31:00+09:00
2024-03-05T22:32:26+09:00
2024-03-05T21:33:31+09:00
k_hankichi
クラシック音楽
以前、友人がこの人のゴルトベルクを聴いていたことを思いだした。
→https://maru33340.exblog.jp/33751390/
えっと思って開いてみる。こちらはCD化されたものとは異なるライプツィヒの聖トーマス教会での独奏会だった。2014年のバッハフェストでのものだ。当日のプログラムがwebに有った。
→http://www.unitel.de/media/files/flyer/Goldberg_Variationen_-_Zhu_Xiao-Mei_EN_neu.pdf
シャオメイは撫でるように鍵盤に指を走らせる。大袈裟な身振りのない、呟くような動きだ。
そこから流れ出る音楽は、吟遊詩人が野原を前にゆっくりと詩を読んでいるような風情。なんとも心を鎮めてくれる。
生きることは儚いけれども一つ一つに意味がある。一人一人に意味がある。どの時間も大切で、如何なるひとときも掛け替えがない。
友人によると、シャオメイはこの曲で老子の「反は道の動なり」という言葉を引用しているという。
反は道の動、弱は道の用。
天下の万物は有より生じ、
有は無より生ず。
むずかしい。前に進むだけが道ではないというようなことか。
道草、寄り道、後戻りも良し。徒然なるままに歩め。悠々自適、英勇講礼、養勇講礼。
ああ、肩肘張らぬとても自然なるバッハだ。
■収録
2014.6.21、聖トーマス教会
■演奏(終えた後に教会に花を献呈したり、聴衆と歓談するシーンがあってそれも素晴らしい)
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あの国の思想根源の一つ
http://hankichi.exblog.jp/33274846/
2024-03-04T07:08:00+09:00
2024-03-04T07:17:14+09:00
2024-03-04T06:52:02+09:00
k_hankichi
本
時代は南北戦争前。
米国南部のジョージア州で過酷な奴隷生活を送って来た少女・コーラが北の地に脱走する。逃げる方法は地下を密かに走る鉄道だ。
そんなものは現実には無いのだけれど、迫真の描写に手に汗握る。何度も何度も奴隷狩りの白人たちに迫られ、捉えられ、そしてまたそこから逃げていく。
黒人たちをアフリカから連れてくる前はインディアンたちを駆逐し殺し、そしてその土地を奪っていたことも改めて理解する。
このあいだ観た映画『カラー・パープル』で奴隷貿易の中心地はルイジアナ州だと知ったが、そこで買われた人たちはフロリダ、ジョージア、カロライナなどの州にも連れてゆかれこき使われ尽くされていった。
逃亡した人たちが捕まえられると市中で絞首刑や八つ裂きにされて皆の見せしめにされた。
奴隷制度を推進する南部の州の人たちの考え方がこれでもかこれでもかと描かれてゆく。
あの国の思想の根源の一つなのだ。人種差別をベースに展開されていった領土拡張と殖産興業。人を人と思わない所作と扱い。世界の警察を標榜する国の成り立ちだ。
世界中の人たちはこの歴史と事実を改めて理解しなければならない。
世のなかは常にダブルスタンダードだ。
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隔世のマラソンを観て
http://hankichi.exblog.jp/33274197/
2024-03-03T12:00:00+09:00
2024-03-03T16:25:01+09:00
2024-03-03T12:00:24+09:00
k_hankichi
街角・風物
1位から8位がアフリカ勢で、アジア人は漸く9位に入っだ。
ケニア、ケニア、ケニア、エチオピア、エチオピア、ケニア、エチオピア、ケニア、日本、ケニア。
トランプの何かの手札のように見えてくる。
アフリカ勢の底力と趨勢を逆転する方策は如何にすればよいのか。
普通のトレーニング方法ではもはやその差を詰められないような気がするし、根性とか気合とかいうものでは全くもって通じないことは明らかだ。
宇佐美彰朗、宗茂・宗猛、瀬古利彦の時代に育った僕らには、その差を埋める方法のヒントさえ浮かばない。
大リーグで大谷翔平が活躍できているその裏には、徹底した科学的トレーニングがあるという。
コペルニクス的な転換を生み出すような科学的な訓練方法がないものか。
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上気を振り切って三鷹に向かいたい
http://hankichi.exblog.jp/33272943/
2024-03-02T10:42:00+09:00
2024-03-02T10:42:16+09:00
2024-03-01T19:22:51+09:00
k_hankichi
映画
そこまで言われるとどうしても気になって、とうとうNETFLIXで『愛なのに』(城定秀夫監督、2022年)を観てしまった。
→https://lr15-movie.com/ainanoni/
古書店の店主・多田浩司(瀬戸康史演じる)に高校生・矢野岬(河合優実演じる)が仄かに恋をして求婚し、淡い愛がだんだんと本当の愛に変わりつつあるストーリー。
だと思っていたら、そこにもうひとつの妖艶なるストーリーが絡みついてくる。多田がむかし片思いしていた女・佐伯一花(さとうほなみ演じる)が結婚する間際になってフィアンセ・若田亮介(中島歩演じる)の浮気を知り、多田に助けを求め、そして・・・というもの。
僕はこの一つ目のストーリー、まさに山口百恵の翳りと原田知世の純粋さの共存の奇跡に陶酔し、心を昇華させるだけで良かった。
しかし二つ目のストーリーが邪魔をする。昭和のATG映画的なストーリー展開なのだ。男と女の恋愛と性愛と妖艶と官能がありその狭間に嫉妬と渇きが横たわる。
「肉に従って歩まず、御霊に従って歩みなさい。」という新約聖書(ローマ8章1節〜11節)の言葉に従って女が対応しようとするが、「御霊」を「自分の心」のことと勘違いして、別の男との性愛に走ってしまう(そこで女が新たな快感の歓びを発見するのには笑うけれど)。
観ているだけでも上気して仕方がない。
とにかく一つ目に集中したいので話を元に戻すと、登場する古書店「上々堂」(しゃんしゃんどう)は三鷹の下連雀に実在のもので、まさに太宰の禅林寺の目と鼻の先。作家の住居にも近い。
→https://www.kosho.or.jp/abouts/?id=12030790&mod
この店を是非ともに訪れて河合優実の心に寄り添い、自分の荒ぶる精神を正さなければならない。
困った映画だ。
■作品トレイラー
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https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/