一人百様の人生のありよう・・・『森へ行きましょう』
川上弘美の小説『森へ行きましょう』(日本経済新聞出版社)を読了。同社の夕刊に連載されたものだそう。一人百様の人生があることをしみじみと知る。
語り手は孤空高くから我々のそれぞれの人生を眺め、それを淡々と伝える。
“ルツは知らない。ルツがそうであったかもしれないもう一人の自分が、こことは異なる世界のどこかにいるかもしれない、ということを。違う世界のルツは、今のルツとはまったく違うルツかもしれない。同じ年齢、同じ性別で、同じ両親のもとに生まれ育っていたとしても、ささいな違いの積み重なりが、今のルツと、違う世界の誰かとを、すでに大きくへだてているかもしれないのだ。あるいは反対に、ささいな違いの積み重なりが、外見上は今のルツとその違う世界の誰かをへだてているように見えるかもしれないけれど、最終的には同じところへと両者の運命は収斂されてゆくのだろうか。”(「1988年」から)
この作品を読み終えると、僕らは必ず、自分の人生のいくつかの岐路、その時その時に選んだこと、そしてそこに託した気持ちを思い出す。その記憶はもしかすると意図的に固定化されたものかもしれないし、もしかするとその最早見えない底流のなかには違った思いが隠されているかもしれない。
それぞれの人のそれぞれの内容がどのようなものであったとしても構わない。「違った自分が隠されているかもしれない」ということに気づくことが、この作品の意図なのだと思った。