“「命令した側」と「命令を受けた側」と、もつひとつ「命令を見ていた側」があったということです。”
そんなことが末尾に書いてあって、まさにそれは戦争や特攻隊のことだけでなく、昔や今のあらゆる組織、集団、そして国のなかでも起きていることなのだと実感した。『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(鴻上尚史、講談社現代新書)。
“一般論を語れば、どんな社会的な運動も「当事者」より「傍観者」の方が饒舌になります。思い入れを熱く語るのは、当事者になれなかった傍観者、または当事者になりたかった傍観者です。(略)けれど、真実は当事者の言葉のなかにあるのです。重い口を開いて語る当事者の思いが歴史の闇に光を当てるのです。”(「第4章 特攻の実像」より)
そして記す。精神論をがなりたてる人たち、リーダー、首長というもの、命令をした者たちが、責任を取らないことの多さを。それどころか責任転嫁をすることの多さを。
特攻のことを知ろう分かろうとして、自分自身の生き様にまで、なにか鋭い刃を突きつけられた。