「ウェインスコット・ポンド - Wainscot Pond - を、実は、私は未だ訪れたことがない。それがアメリカの何処にあるのかも知らない。友人から送られてきた絵葉書に印刷された美しい風景画の下に、小さな活字で、Wainscot Pondとあった。池の向こうに、私には、沈黙する森が見えた。ここではたんに森の情景を描写するのではなく、森のなかで、感じ、考えたこと、また行動を共にしたひとびととの懐かしい思い出を描こうと思った。」(武満徹)
どんな音楽評論家が説明しようとしても、書き尽くさないことがここに淡々と記されている。それも美しい文章で。
『森のなかで』のなかの「ウェインスコット・ポンド - コーネリア・フォスの絵画から - 」は、本当に深い深い森のなかを、彷徨うようにして静かに歩きながら感じたことが表されている。
森の木々と対話したり、昔のことを思い出したり、友達やあるいは曽て交わりはあったけれども過ぎ去っていった人たちのことなどが、滲み出るように空間に放たれて、そこにあった。
「政治や経済」「国際や国内」というような言葉で表される事象とは、まるで無縁な世界なのだ。どうしてかといえば、この音楽が、人が生きてきた、生きている、というような事柄の次元だから。
自然と対話できのは、自然そのものか、あるいは生きとし生けるものだけ。
一週間ほど前の新聞の文化面に出ていた松家仁之さんのエッセイにも紹介されていたこの曲は、心身のなかに静かに静かに沁み入っていく。
■武満徹 ギター作品集成
演奏: 鈴木大介
収録: 1996.12.5-7、ミューズパーク、埼玉県秩父
音盤: フォンテック FOCD9229