小津映画で長年撮影キャメラマンを担当した厚田雄春へのインタビューが大分前に本になっていて、神保町でそれを手に入れることができていた。『小津安二郎物語』(蓮實重彦、筑摩書房)。
小津さんは、亡くなられても大切に守られているなあ、と実感。撮影秘話ではなく、例の件について話されたところを記す。
(蓮實)・・・川崎長一郎や武田麟太郎の小説に、小田原芸者のことを書いたのがありますね。それに小津さんの話も出て来るんですが、その芸者さんて方は、小津さんの映画に出てきそうな方なんですか?
(厚田)え、あれはねえ、面白いんですよ。武田さんに材料を提供したのはどうも助監督だった原研吉さんらしいんですが、そんな深い仲じゃなかったんです。誤解もあったでしょうが伝わっている話は脚色されてますし、小津さんが武田さんと会われたのは、戦時中のことですから。(中略)高輪のお宅におられたころの話ですけど、ある日、迎えに上がったら、「おい、上がれよ」っていうんで上がってみると、小津さん、帯地に絵を書いているんです。で、かたわらに女の人が坐っている。ぼくは御親戚の方かと思ってお辞儀をしたら、「何だい、俺の色女にそんな挨拶するな」っと、こうくるんですよ。ああ、これがあの方かと思いましたが、でも、もう旦那様がいたっていうんですね。あとで東京に家庭を持たれて、小津さんに連れられて山内静夫さんとぼくもお訪ねしたことがあります。そんなわけでおつきあいは続いていました。
以上、「3 小津安二郎と蒲田の仲間たち」から。
川崎長太郎の題材については、はぐらかして答えていないし、しかしかといえば、高輪の自宅に女が来ていたことを喋る。旦那がいても行き来していることが想像できてしまう。厚田さんも、どう説明してよいか当惑していて、良識的な返答の仕方ができないのかもしれない。しかし語り口から、その女は厚田さん好みではないことは何となくわかった。
たしかに、親しき人については、それが親しいほど語ることはむずかしい。