人づての噂話は相手にしてはならないとは思えども

小津安二郎監督の、もうひとつの世界を垣間見てしまったような、しかし、人づての噂話は相手にしてはならないと、昔から教えられてきたからそのまま放置しておくべきだと放念したいような、複雑な気持ちで読了した。『泡 裸木 川崎長太郎花街小説集』(川崎長太郎、講談社文芸文庫)。

小説だから、そしてまた書き手が長年、或る女を巡って小津をライバル視してきたから、そういう事柄を二割三割差し引いたとしても、そこには映画の映像からは想像できないほどのストーリーが書かれている。

“それが、日本の隅々にまで聞えた名前の持ち主大津監督では、彼女が眼を抜かれて当たり前であるが、君栄の精一杯の打ち込み方も、先へはそれほど届かず、いってみれば、恰好な遊び相手位にしか扱わないようで、日のたつ裡には、それが、段々不足にもなってきていた。君栄にすれば、分に過ぎた申し分かもしれないが、大津の妻にして貰いたいのであった。三十を二つ三つ超えた監督は、いまだに独り者で母親と二人暮しである。先が惚れていれば、当然君栄をそうして当然であろうが、大津の仕打ちには、何か奥歯にものの挟まっているようなところがちらつき、君栄を余計じらせ、こじらせ、果ては彼女に不吉な気の廻し方まで余儀なくさせたりした。”(「宮町通り」から)

“君栄は寝てはしがみつき、覚めてはため息が出た。「先生」に惚れた身の切なさに甘えてないてみたいような気持だった。大スターの名を女中か何かのように呼び捨てにし、大山撮影所に一人だって満足な女優はいやしない、あんな奴らが俳優でございなんて大きな顔をして通れるなんかまさに未世だなどと嘯き、綺麗どころの若い女を主演させて売りたがる大山映画の中にあり、あべこべに名のパッとしない男優を正面に出し、女優を使うにしてもあまり白くは塗らせないといった風の、いくひねりもひねった風格のある映画の作者だけ、女にかけても尋常ではなかった。”(「裸木」から)

人づての噂話は相手にしてはならないとは思えども、もう見なかったことにしたいのだけれど、あの素晴らしき映画のなかに込められたシーンのいくつかには、どこかしら小津監督という人間のいくつかの面が反映されているのだと思った。

平凡な家庭生活だけを描いているわけではなく、かならずその裏には哀しみや愛憎、皮肉っぽい人間の素性の影がちらりとでも感じるところがある。生きとし生けるもの、男女のあらゆる生きざまがある。だから、あの数々の作品に味わいがあるのだと思って納得した。

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Commented by maru33340 at 2017-11-18 18:58
こりゃあ、君、まるで『羅生門』じゃないか。
誰が本当の事を言ってるのかわかりゃしない。
しかし、まあなんだ、知ってしまったものは仕方ない。
行けるとこまで行くしかないやね。
(森繁)
Commented by k_hankichi at 2017-11-19 06:36
森繁さん、そうなんですよ、人生って酸いも甘いも多彩ですね。ありますね、いろいろ。
by k_hankichi | 2017-11-18 18:42 | | Trackback | Comments(2)

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