素晴らしい出来の自叙伝・・『女優 岡田茉莉子』

自叙伝というのを読むのは久しぶりだった。そしてそれは、まあ読んでみるか、という程度で取り掛かったのだけれど、読みはじめて直ぐに、素晴らしいレベルにあることが分かった。佇まいを変えて読み込んだ。『女優 岡田茉莉子』(文藝春秋)。

この女優は、演ずるということのすべてを熟知している。その深みに圧倒された。

成瀬巳喜男監督の作品『浮雲』での演技について、次のように書いている。

“翌日、森さんがまたお風呂に行こうとするのを見て、私が「お風呂にいらっしゃる?」と訊き、一緒に行くそぶりをするのだが、私と森さんのただならぬ様子に気づいた高峰さんが、「お風呂? 私も行く」という。「あっ、そう、それじゃふたりで行ってらっしゃい」と、私がいうのだが、(中略)連れだってお風呂に行こうとする高峰さんと森さんに、私は女としての嫉妬を隠そうとしながら、そうした私の嫉妬を、あえて高峰さんと森さんに気づかせ、ふたりを苦しめたいという、その入りまじった演技が、いまの私にも読み取れた。(中略)だか、『浮雲』のなかでもっとも私らしいと思う芝居は、伊香保温泉で高峰さんと森さんが連れだってお風呂に行くのを、私が玄関から出てきて見送るシーンだっただろう。温泉街の石段を登ってゆくふたりを見送っていた私が、にわかに身をひるがえすと家に入り、力一杯に強く戸を閉める演技をする。”(第五章から)

夫の吉田喜重監督についても、俄然興味が沸いてきた。小津安二郎作品についての記載のなかで出てくる。次のようである。

“杉村春子さんが名女優であることは私にもわかっていたが、野球の四番バッターのように映画の中心人物としてホームランを打ち、観客を満足させるようには、私には思えなかった。あとになって、こうした疑問は吉田監督の著書『小津安二郎の反映画』によって、ようやく私も理解することができた。小津さんの映画に登場する人物は、聖なる人と俗なる人に区別されているという。原節子さんが演じる役は、聖なるものであり、それとは対照的に、杉村さんの演じる喜劇的とも思われる役は、俗なるものだという。そして、笠智衆さんが演じる役だけが、聖なるものと俗なるとののあいだを、自由に行き来できるのだという。さらに吉田監督は、「聖なる人間には死の影が宿り、死の匂いがする」とも述べている。それは観客によってただ見られる、受け身の役にすぎない。そして、映画に命を吹き込み、生きいきとさせるのは。むしろ俗なる喜劇的な道化の役だという。”(第九章から)

慧眼の夫婦に、ただひたすら参りました、と伝えたい。

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Commented by maru33340 at 2017-09-22 07:53
なるほど。
岡田嘉子、たぐいまれなる名文家なり。
読まねば。
また『浮雲』見返したくなった。
Commented by Oyo- at 2017-09-22 12:13 x
あの『浮雲』の場面、強烈に印象として残っています。女の直感でしょうか^^
Commented by k_hankichi at 2017-09-22 21:35
maruさん、岡田さんは、才女なのです。映画を観たくなりました。
おようさん、はいその直感、そうです。
by k_hankichi | 2017-09-22 06:41 | | Trackback | Comments(3)

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