仕事をしているなかで、ある事柄について自分がどんなに幾度も説明しても、殆ど何も理解さまされていない、ということに気付いて暗澹たる気持ちになることが良くある。頻繁にあるといってよい。
どうしてなのか。
寄せては返す波のように何度もその疑問が出てきて、そして幾度となく到達する答えがある。
「人は聞いているだけでは理解できない。」
百聞は一見に如かず、ということだ。
それが真だとしても、説明してきた或る事柄を実際に見た人でも、まだ真の意味を汲み取ることが出来ない人々もいる。
そういう事態に遭遇すると、最早、僕らは、意志疎通する、共感と同意をするということは永遠に出来ないのではないかという諦観にたどり着く。
猿や犬猫なら、自然が与えた危機感知と忌避、生存本能で、目の前の実態を敏感に、かぎ分け対応するのにも関わらず、だ。
少しばかりある知性、個々に展開していった論理が邪魔をするのか。
「人間は、聞いても見ても分からない動物なのだ。」
そう考えたくなるときが何度もある。
それでも砂に水を撒くように、今日も物事を伝え続ける。いつか魔法のように皆がすべてを理解し共有する日を夢見て。
■霧があろうとも分かりやすい(と思う)カリフォルニアの快活な世界の入り口。