今日は父親の米寿の祝い。親族一同(といっても僕ら兄弟のそれぞれの家族一同だけれども)が久々に一人残らず集まっての楽しい場となった。
台湾で生まれ、現地人との軋轢も経験しながら若くして自分の意思で予科練を選び、一人本土に渡った彼。
軍隊予備役での厳しい生活、戦前戦後の厳しい暮らし。苦学しながら大学を終え、東へとその生活の拠点を移してきて、そうして母と出会い、僕らが生まれ、高度経済成長のなかを馬車馬のように過ごしながら家庭を支えてきた。
仕事を引退してからようやく落ち着いた暮らしを取り戻したけれど、それもつかの間、幾つかの病いも患った。
近代医学の粋は素晴らしく、何度もの危ない状態を乗り越えて現在に至っているが、流石に寄る年波には勝てず足腰だけは弱ってきた。それでも自動車運転免許の更新をし、相変わらず精神はかくしゃくとしていて僕の母や周囲を驚かしている。
数奇な運命を辿りつつ、エンジニアというものはこういうものだ、ということを暗黙に指し示し、口数がほとんどないなか、僕ら兄弟を育てていった人のことを僕は尊敬する。
生命の長い営みのなかのつらなりの一つに過ぎないのかもしれないけれど、この繋がりが僕の現在を支えていて、だから無条件に父親のこれまでのことに感謝する。
僕らの気持ちがどれほど通じたかどうかはわからないけれど、これからももっともっと長生きをしてほしいと、深く祈念した。