先週来、相当に心身が疲弊していて、心を癒すというか耳が受け付けるのはマーラーの交響曲第8番しかなかった。疲弊しているときにマーラー!!、ということ自体は自分でも意外に思ったが、どの交響曲でも良いのではなく、たまたま8番だけが受け入れられた。曲想があれやこれやとごたごた錯綜し、わいわいといろいろな人たちが騒ぎながら、しかし神の啓示に向けて昇華していくという感じで、友人曰く、「この音楽はベートーヴェンのように真っすぐに進まずにモザイク状に感情が交錯するから、それは疲れた時の心の状態に近いからなのだろう」ということに頷いた。
そうして次第に心が平静になっていった。
自分の過去から現在のことを考えたりする余裕が生まれ、そういうなかでふと郷愁ということについて考えていたら、こんどは無性にバッハを聴きたくなった。といっても宗教曲やオルガン曲ではなく、またピアノ曲でもなく、欲しくなったのは無伴奏のヴァイオリンソナタとパルティータだった。
好きな演奏は何度か記載したが、今もそれはカール・ズスケと五嶋みどりで、もちろん厳しく自分と対峙し律したいときには、セルゲイ・ハチャトリアンが入り込んできた。
五嶋さんの演奏は、森の奥の木立の間から、その森全体の息吹のように静かに漏れ流れてくるようなもので、そのしみじみさといったら無く、そしてそこからは、誰もいない空間であろうともそこに一人存在していることは、それだけでも素晴らしいのだというある種の喜ばしさが伝わってきて、ただただ寡黙になった。
しかしそれは郷愁とは違った。
予てから良いと耳にしていたヴィクトリア・ムローヴァのバッハをちょっと試してみたくなり、少しだけ期待して手に入れた。そして大きな衝撃に包まれた。まさに僕が求めていた音楽だった。
緩急自在なる運びのなか、ひとつひとつの物事や人に触れることで、わずかながらテンポが揺れ動く。弦の響きの最後が、ふっと息を抜くかのように弱く小さくなって消えゆく感じが、なにか、遥か昔を思いやるかのよう。郷愁であるとか追憶とでも言おうか。はるか昔に親しんできた物事や場所、そして人々。それらにひとつひとつ気持ちを向かわせ、目線を遣り、そして心を通わせていく。
思い入れが深ければ深いほどに、ゆっくりとした流れになる。時には甘く切なかったり、砂糖菓子のように儚そうであったり、沈みゆく夕暮れのなかに歩く子供たちの姿のように美しかったりする。
ムローヴァの郷愁ともいえる場所や追憶のそこかしこを知りたくなった。
■収録:2007.3.18-19, 2008.10.20-22、Bolzano、イタリア
■音盤:ONYX 4040