ルーマニアの作曲家、チプリアン・ポルンベスクの曲『バラーダ』にまつわる小説を読了。金沢、ウイーンそしてルーマニアへの篤き想いが、静かなるしかし熱き血潮をもって渦巻く強烈な作品だった。『百年の預言』(高樹のぶ子、朝日新聞社)。
「クラシックの専門家から見れば、音楽性は低い曲だけど、弾き終わったときのカタルシスは大きいわ。母はルーマニアの湯の町エレジーだ、って馬鹿にするけれど、湯の町エレジーで涙を流してどうして悪いのかしら」
外交官の男・真賀木奏が、愛してしまった女性ヴァイオリニストの走馬充子から言われた言葉だ。
二人は幼少期に金沢で共に過ごし、その後別々の道を歩むのだけれど、ウィーンのブルグ劇場にちかいカフェ「ラントマン」で出会って以来、時には熱く、時には嫉妬に狂いながら、1980年代後半の歴史の渦のなかに飲み込まれ、愛と社会の坩堝のなかで翻弄されていく。
新聞の小説を刊行したものだというが、読んでいるだけで赤面してしまう激しい描写がいきなり現れたりして驚く。東西の壁や社会主義崩壊の余韻がまだ残っていた頃だからこそ、発行側も読者側もこの昂りを寛容したのだろうか。
さて今の我々は、どれだけ感情を吐露できるものなのか。それが抗議であれ恋慕であれ、そしてまた激昂であれ、已むに已まれぬ気持の発露を、このようにできるのだろうか。
人間の気持ちの自然なる移ろいや、諦め、そして想像もしないような男女の感情の起伏が、見事に描かれた秀作だった。
※朝日新聞朝刊連載 1998.7.27~1999.9.5