無茶苦茶な随筆かとおもったら、その通り無茶苦茶で、それは私小説という範疇に位置づけられているのだということを後から分かった。『鬱屈精神科医、占いにすがる』(春日武彦、太田出版)。
読み進めるうちに、これは著者の気持ちであると同時に、僕自身の気持ちが表現されていると思えるようになる。その気持ちを正鵠に言い当ててくれる宗教伝道師に対面しているような気がしてならなくなる。
「私小説にして哲学書、文学にいざなう力に満ちた、豊かな本だ。」と小池昌代が薦めている。
珠玉は以下のところだった。
“「それじゃあ、心が休まらなかったでしょうね」
「大学を卒業して家を出てからも、いや今でもずっと不安が続いています。不安じゃなかった日なんて物心ついてから一日も・・・」
まったく予兆などなかった。むしろ淡々とした調子でわたしは占い師に語っていた。にもかかわらず、不安じゃなかった日なんて物心ついてから一日もないと言おうとしている途中で、不意に視野がねじれた。鼻の奥を、突き上げてくるものがある。
え?
一瞬、心の奥に何かが駆け寄ってくる感覚があった。
と同時に涙腺が決壊し、声がばらばらに千切れた。
自分の唇が奇妙な形に歪んでいるのが分かる。
…嗚咽したのである。
自分自身で驚いた。
何てことだ。わたしはここ三十年ばかり、つまり人生の約半分は、泣いたことなどなかったのに。”
この詩人のような哲学者のような小説家は、自分の気持ちを超天空から眺め入るように、自由視点で描写する。
こんな小説家がいたのか。破天荒で、自己中で、アスペルガー症候群的でありかつ、そのことを自分自身でもシニカルに描写できている。
親近感を抱くとともに、この人と、一昼夜でも一週間でも、どんなにギャフンと自分がなってでも語り続けてみたいものだとおもった。