主権在民は希望が支えている

朝のニュースはメトロポリタンの首長選の結果で沸いていた。松浦寿輝さんの件の評論集には、こういった事柄について次のように書いてあって、まさにそうだよなあと感嘆した。

“他方、極めて散文的な投票行動も一種の超越的な信仰性を孕んでいる。それはしかし、すでに私自身に内在しているはずの「至高」を改めて主張し、その「主権」の代行を誰かに仮託する行為の謂である。何しろわたくしも憚りながらpeople(polulus)の一員で、かつまた憲法にはpolular sovereigntyの原則が書き込まれているというのだから、こんな機会に「至高者」としての自負を多少は誇ってもよいはずだ、その「権利」があるはずだ。そんな思い込みに唆され、せっかくの休日なのに、投票会場の小学校か何かまでわざわざ足を運んでゆくのである。”(「主権在民」から)。

「国民主権」「主権在民」はpolular sovereigntyの翻訳だそうで、主権を意味するsovereigntyとは、至高性を意味するらしい。一般民衆は、あなたがたは超越している、至高な存在であると、持ち上げられて、ああそうなんだ我々がこの組織を動かしているのだ、と気持ちを昂らせ、それを仮託できる人を、えいやーと決めていく。

新しい首長や議員が選ばれるたびに、すこしの昂奮を覚え、しかしやがて、マンネリの日常に帰っていく。いくつかの不祥事が起き、何食わぬ顔で隠されていたような怠慢事が判明するたびに、それら仮託された人たちは辞めていき、そしてまた新しい首長や議員を選ぶ行為が始まっていく。

この世の中は、結局は仮託とその結果の諦観と落胆との繰り返しで、しかしそのような構造(虚構だろうか)を分かっていながら、もしかしたらという儚い希望とともに再び仮託に挑んでいく。

しかしそういった「儚い希望」だけが、われわれの生きる支えなのかもしれない。

不思議なる、主権在民。

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Commented by saheizi-inokori at 2016-08-01 10:39
恐ろしい民意を示しました。
Commented by k_hankichi at 2016-08-01 18:52
グリーンに染まっていました。アジア的な感性とでも言うのでしょうか。
by k_hankichi | 2016-08-01 07:49 | | Trackback | Comments(2)

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