『黄昏客思』(松浦寿輝)のなかの実存

積ん読になっていた松浦寿輝の『黄昏客思』(こうこんかくし、文藝春秋刊)を読み始めた。冒頭から吉田健一的なる世界が淡々と書き綴られている。

“とりわけ、光と影が曖昧と化す黄昏の時刻には、そんなふうに不意に意識が混濁し、と同時にその混濁が甘美な途迷いに転じるといった瞬間が、生の時間に差し挟まれがちであるようだ。ただし衰亡の予感の中でその甘さには、かすかな凄愴の気も漂っている。”(「主客消失」から)

しかしその記載はそこから、俳諧の世界や『嵯峨日記』そしてサルトルのアントワーヌ・ロカンタンの世界、そしてセザンヌの心境にまで飛躍する。自分が書いた小説の回想までもが差し込まれ、意識は自由自在に飛躍していく。

そしてその最後、「物」たちの「存在」が迫ってきて、今や「物」たちこそが世界のあるじになるとする。

実存的なる世界。自分らはちっぽけなる小さなとるにたらない、「石」や「果物」や「月」や「樹木」と同じ存在に過ぎない、ということに気付いていく。

吉田健一は、大きくたゆたう時間の流れの中での自分らの存在を、刻一刻とすこしづつ過ぎてゆく時間の実感と共に味わったが、松浦さんは、そういう時間の流れのなかで「主」として自分が存在しているのではなく、それはたとえ「主」であろうともそれは「主」を演じる「客」なのであると看破した。

黄昏客思

松浦 寿輝 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2016-07-31 15:47 | | Trackback | Comments(0)

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