アイヒマンについての作品を観た映画館の受付では、その思想にまつわる書籍も売っていて思わず買い求めていた。『<凡庸>という悪魔』(藤井聡、晶文社)。副題に「21世紀の全体主義」とある。
“いわば全体主義とは、人類が人類である限り逃れ得ることができない宿命なのです。この全体主義という宿命を避けるためには、我々は常に「考え」続けなければなりません。もしも我々が「考える」という十字架から逃れようとすれば、我々はすぐさま、自らの誇りや尊厳、さらには全ての人格を溶解させ、どろどろのまっ黒な辺泥のような液体と化し、互いに溶け合い混ざり合い、あらゆるおぞましき化学反応を起こしつつ、「全体主義」という巨大な悪魔をつくりあげてしまうのです。つまり人畜無害に見える凡庸な人々こそが、意図せざる内に巨大なる「悪魔」そのものとなるのです。”(「第3章 "凡庸"という大罪」より)
「考える」という重い十字架を背負うこと。それが本当にしっかりとした「個々の人」となるための必須なこと。
もしその十字架を下してしまったらば、その先は、自分は知らないけれども・・・と空吹きながら殺戮と破壊を繰り返す世界に加担していく危うい存在となってしまう。
第二次世界大戦の少し前から大きく広がっていった全体主義は、戦争が終わったから無くなったわけではなく、ますます加速して拡張し続けている。
自分もその渦中に知らず内に巻き込まれていく、あるいは、巻き込まれている。早く十字架を背負いなおさねばならない。