音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

『じっとしている唄』(小栗康平)のこころ

小栗康平のエッセイと手記が入った本を読んだ。『じっとしている唄』(白水社)。前半は毎日の徒然に即したエッセイ。終りのほうに映画にまつわる思考の手記がおさめられている。

その「映画の思考」の章のなかの記載が良かった。僕の友人が少し前、藤田の絵について言っていたことと同じような観方をしていることにも思わず頷いてしまった。

“フジタの出世作<ジュイ布のある裸婦>はパリ近代美術館に展示されていた。同時代の作家たちの画とフジタの画がはっきりと違って見えた。なんというか、周囲のそれよりも静かなのだ。もちろん静かさの感覚はそれぞれの受け止めの違いでもあるだろうけれど、日本画的とも見てとれる、絵画技法の違い、もあったのかもしれない。ヨーロッパの油画の伝統の中にあって、フジタはいかにも日本、であると思えた。”
(「静けさから」より)
“近代の個人は砂粒のようにばらばらである。ばらばらに孤独な個人である。わたくしたちは一人ひとりで「時間」を管理する「自由」を持つようにはなったけれど、その時間は個々人が孤独のうちに「消費」するものでしかなくなっている。哲学者の内山節が看破して書かれているところだ。映画の時間がそうしたものといっしょでいいはずはない。(中略)「もの」「人」は「場」と共にしかない。そう考えると「在る」とはみな個別にある。普遍的に「在る」と思うのは観念であって、実相ではない。であれば、映画の撮るという行為は、そもそもがローカルなものに向かい合うことではないか、と考えられる。(中略)受動、受容は静かな持続でもある。それは祈りにも近いものかもしれない。そんなふうに考えてみると、映画表現の可能性はまだまだ広い。”
(「じっとしている唄」より)
c0193136_18013026.jpg

じっとしている唄

小栗 康平 / 白水社

スコア:


[PR]
by k_hankichi | 2015-11-28 06:45 | | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://hankichi.exblog.jp/tb/24973862
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by およう at 2015-11-28 09:06 x
FUJITAの絵は私も昔、同じように感じました。
小栗氏の言葉は長年の監督目線ですね^^ 確かに私たちは砂丘の砂粒・・・。
Commented by k_hankichi at 2015-11-28 09:14
砂丘の砂粒・・・。FOUJITAの透徹。ただただ感じ入ります。