新宿で映画『FOUJITA』を観た。事前にシナリオを読んでいたのだけれど、小栗監督が藤田嗣治に馳せた心象風景に隅々まで満ち溢れた作品だった。
外国からパリに出てきた者たちは、ふつうはエトランジェとして扱われる。しかしFOUJITAはそのようななか、自分を卑下した存在に落としてもその国に溶け込もうとする。まさに身と心を削るかのようなFOUJITAの佇まいには共感する。僕自身の過去の軌跡が、まさに重なって、FOUJITAの心が身に迫る。
フランスから日本に戻ってきたあとのFOUJITAは戦争画に専念するが、その鬼気迫る芸術が高みに至るところで、彼の心には枯れた風が吹き始める。
亡くなる直前に描いたフランス・ランスの礼拝堂の壁画のなかに、FOUJITAの自画像が描かれているのだけれど、それが映画の最後のエンドロールで流れて初めて、FOUJITAが世界で起きていた事柄に対して、ただただ傍観者的な位置からそれを眺めざるを得なかったということを知った。