『紀子』のこと

この世界に憑りつかれた男が繰り返し説く執念のような書だった。『紀子 小津安二郎の戦後』(黒田博、文藝春秋企画出版部)。

映画の台詞からの抜粋がこれほど潤沢なる書はこれまで読んだことはなく、これは台本なの?と思うほどなのだけれど、しかしそのなかに散りばめられた著者の想いの強さは自分にも通じるものがある。だからこれは僕らの代弁者なのだと思った。

“戦後の小津安二郎は芸術的メソッドとして反復とずれを徹底的に追及し、反復に退屈に見える平和な日々の生活を託し、反復する日常のわずかなずれに人生の残酷な真実を描いた。その時、Aの不在の顛末を直接描かないではいられないハリウッド流の叙事的語法に反して、小津は不在の波紋が生み出すドラマこそ意味があると考え、事件を直接描かないで主題を反復させ変奏させることで事後の風景を抒情的に描き、観客にもおこったことの意味を考えることを求めた。”「『麦秋』ー風にそよぐ麦の穂波」より)
“小津は「『騙されていた』と言う一語の持つ便利な効果に溺れて、一切の責任から解放された気で居る多くの人々の安易きわまる態度を見る時、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感じざるを得ない」と言い切った伊丹万作と同じ立ち位置から、その危うさを乗り越えてゆくのは、現状をずるいと認識できる者であると考えたに違いない。・・・(中略)・・・戦死者を忘却し器用に生きることを「猾い」と頑なに思いつつ、不安定ながらも生きてゆこうとする洋服姿の新しい女・紀子に期待を込めて託されることになった。」”(「『東京物語』ー時と場の交響曲」より)
“「周」とは閉じた曲線、つまり元の位置に戻ってくること、「紀」とはすじみちのことであった。いま、「紀子三部作」とは、生き残ってしまった元皇軍兵士・小津安二郎が混乱した政治的空間のなかで、「元の位置にすじみちをたてて戻ること」を思い描き、主人公に「紀子」と「周吉」と名付けた作品群だったと思う。”(「夢のように」から)

紀子三部作に出演させた後には、原節子には紀子を名乗らせなかった、という小津の秘めたる想いがようやくわかってきた気がする。

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紀子 小津安二郎の戦後 (文藝春秋企画出版)

黒田 博 / 文藝春秋

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Commented by およう at 2015-10-28 19:54 x
いろいろな捉え方があるのですね。私の知り合いに紀子さんいっぱいいます^^
Commented by k_hankichi at 2015-10-28 22:39
おようさん、紀子に囲まれた世界、すごいなあ。さらに小津の映画のような語りやしぐさをしてくれていると、それはうれしい世界でありますなあ。
Commented by maru33340 at 2015-10-29 06:42
これは濃密そうや。
Commented by k_hankichi at 2015-10-29 07:04
maruさん、半分は、まるで台本を読んでいるかのような感じですが、嫌味はありません。
by k_hankichi | 2015-10-28 00:38 | | Trackback | Comments(4)

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