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by はんきち

ノエル・シムソロによる小津・・・映像を彫刻する作家

古書店で買い求めた『国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年記念「OZU2003」の記録』(蓮實重彦ほか編著、朝日選書)を出張中の機内で読了。

12年前の、蓮實さんによる周到かつ徹底的に緻密な構成のシンポジウムの記録で、ひとつひとつ噛みしめるように読み、あまりの粘着度に気疲れが増したけれど、なるほどなあという記載に溢れていた。

特に、ノエル・シムソロという評論家の言葉とそこで引用しされた文章が心に残った。

“脚本は、俳優と技術者が綿密に演奏しなけばならない楽譜なのです。わずかでも脚本から離れたり表現過剰になったりすることは、そこでは許されません。・・・(中略)・・・コクトーはこう付け加えています。「罠としてわ私が俳優に差し出すあの偽りの単純さほどに正確さを要求するものは何もない」。・・・(中略)・・・撮影の装置が動いて意味を生み出すのを待つミニマリストであるどころか、彼は偶然やその時々のインスピレーションを全く信頼せず、素材の一つ一つを自分の好みと美意識に合わせて操作し、形と色の均衡という意図に基づいて撮影される空間を満たしていました。編集は撮影よりも遥か以前の段階で、すでにカット割りに完全に書き込まれていて、編集のあとにショット同士が作るリズムを、各映像の内容と同じ程度に準備していました。そうすると、すべてがスタッフにとっては拘束だったことが理解できるでしょう。なぜならば、結果の自然さと単純さが、小津があらかじめ考えたものと正確に合っていなければならなかったからです。この人は何よりもまず、映像を彫刻する作家でした。”(「世界の評論家が見た小津安二郎」より)

「小早川家の秋」でのなかで、森繁久彌の演技がどうしてあんなにも浮いてしまって違和感があるのか、ということがよく分かった。

国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年「OZU 2003 」の記録 (朝日選書)

朝日新聞社

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by k_hankichi | 2015-09-27 08:52 | | Trackback | Comments(4)
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Commented by maru33340 at 2015-09-27 13:30
「私もねぇ、君ねぇ、別に出たくて小津の映画に出たんじゃないんだよ。ただ会社の社長に、君が出ないと客は来ないと言われてだねぇ…」(森)
「まぁまぁ、そないにぼやかんと、どうです1杯?」(加藤)
Commented by k_hankichi at 2015-09-27 15:57
「かといってねえ、監督はねえ、あの演技じゃだめだって云うんだよ。何度も何度もだめだってねえ。映画のなかでは、自分で”大オーケーや”、なんて言ったけどもね、大オーケーどころじゃない、大ダメ出しだ。」(森繁)
「まぁねえ、たしかにねえ、駅前シリーズの乗りとは違うでしょうねえ。まあでも、どうです、もう1杯?」(加藤)
Commented by およう at 2015-09-27 22:47 x
「ぼくねぇ、ほとはねぇ、人間関係に凄く苦労してるのよ。どこかでひょうきんになってないと自然さ単純さ・・・むずかしいんだよなー。わかる?君ぃ」(森・・)
Commented by k_hankichi at 2015-09-27 23:30
「えーっ、森さん、そんなふうには、全然、ぜんぜ・・・・。そ、そうだったんだ・・(肩を落として下を向く、同時に盃も下を向く)」(加藤)