その橋のことは、以前からちょっと気になっていた。渡って歩いてみたいと思っていた。その近くに、旨い讃岐うどん屋もあると聞いていたから猶更で、でもそこは週末は営業していないから、結局訪れることができないでいた。
そんななか、小林信彦の『流される』(文春文庫)を読んでいたら、次のようなことが書かれていて、ああ、もっと早く訪れていれば、その雰囲気をあらかじめ知っておくことができたのに、とちょっと悔しいようなさみしいような気持ちになった。
“新宿通りを横切って、舟町と荒木町の間をまっすぐ歩くと、道が途切れた。その先は崖であり、塵芥の捨て場であった。生ごみのたぐいが崖にへばりついていた。下を広い通り(靖国通り)が走っているので、道が途切れているのが奇異に見えた。広い通りの向こう側の崖もごみ捨て場であり、常識的に考えて、広い通りの上に橋がかかっていないのがおかしい。(中略)時間が飛ぶが、昭和三十年代に私は再び左門町に住む成り行きになった。その時にはすでに橋がかかっており、曙橋という名前だった。気になるので調べてみると、昭和三十二年六月に開通したとある。<東京で最初の立体交差陸橋>と区史には期してあり、両側の道の<突き当りは「よしず」で閉ざされ行き止まりになっていた>とある。”(第八章 最後の年」より)
こんど、新宿歴史博物館やら塩湯を訪れたあとに、足を運んでみよう。