『20世紀とは何だったのか』(佐伯啓思)に感嘆する
またまた猛暑。朦朧とするほどの空気のなか、少しでも涼を求めて徘徊する。
そんな折に読んだのは、『20世紀とは何だったのか』(佐伯啓思、PHP文庫)。副題に、西洋の没落とグローバリズムとある。
至るところで感嘆する。例えば次のようにある。
“もう少しおおげさにいえば、この世界に、自己がたしかに安らげると感じる場所がなくなってくる。ハイデガーの言葉を使えば「故郷喪失」です。あるいは、人が場所や大地から切り離されてゆく。確かな場所から切り離されたと感じる人々が、確かなものの代用として、他人の意見や生活を真似し合い、他人に同調することで安心を得ようとする。これがハイデガーのいう「公共性」なのです。ただ他人とおしゃべりをし、流行を追い、新しいものに好奇心を向け、同時にまた世論に同調して、それで自己を表現できたと思ってしまうわけです。日常のなかに頽落するわけですね。”
最近、心悩ます事柄があり、それはまさにこういったことが巡り巡ってもたらしているのかもしれないな、と深く溜め息をついた。