映画『ゆれる』は、封切りの時に観に行ったのだけれど、吊り橋のシーンぐらいしかストーリーをあまり覚えておらず、それは疲れていたからなのかと思っていた。西川美和のエッセイ『映画にまつわるxについて』を読んで、無性に観たくなり、借りてきて観た。
確かにストーリーのことは全く覚えがなかった。そして吊り橋のシーンはまさに記憶の通りだった。
と思いながら観続けていたら、法廷のシーンあたりから眠ってしまっていた。
どうしてか、この映画は通して観ることができないようだ。
ゆれるのは、映画の中だけでなくて、自分の脳の中もそうなって、揺りかごのなかであやされているかのようになっているのかもしれない。
香川照之の今日が築かれた作品だろうことは、分かった。