大崎善生によるノンフィクション『赦す人』(新潮社)を読んだ。これまでこの本があることは知っていたものの、団鬼六についてのものなので、近寄らないほうが良いだろう、と敬遠していた。
古本屋の纏め買いコーナーにあったので、冊数合わせに買ったのだけれど、読み始めたら止まることがなく、一気に読了。実に緻密で、かつ生きざまが手に取る様に伝わってくる伝記だった。
団鬼六は、もともとは純小説家としてデビューし、しかし間もなくSM小説路線に転換し、映画作品まで手掛けるようになった。自由奔放なる性格がそうさせてしまったのだが、その奔放さは桁違いで、想像だにしていなかったような行状がそこにあった。
一方で将棋の腕も段位をもつほどで、その興味の深さと入れ込みようは、将棋雑誌会社まで経営するに至るほど。大勝負の場を設定したり、その臨戦記を表わしたり、棋士たちをもてなしたり、ほんとうに破天荒といえる。
著者の大崎は、将棋連盟の編集者として仕事をしているなかで、団と懇意になり、生い立ちの場所からを辿る旅も共にしたりして、この伝記を書くことに至る。
稀有の文筆家である団のデビュー小説『宿命の壁』は、次のようだった。この人が奔放さを持つようになった根源がこういうところにあるのだと、ようやく悟った。
“人間、孤独になった時、本当の自己を見つめる機会を得る。だが、一切の外交辞令を取り払われて、ほうり出された裸の自己は、悲惨とでもいいたい位に無力な人間ではなかろうか。これが虚飾のない真実の自己の姿だとわかった時、その悄然として、無気力な自己の姿に、人はぞっとするのではあるまいか。”
それにしても、縛る、だとか、攻める、だとか、普段接しない事柄がたくさん描写されていて、人はこちらの世界に踏み入れたら一気に嵌り込んで、当分は戻って来ることは出来ないのだろうな。怖いもの見たさ、という気持ちがちょっと生じた一冊だった。