「シベリウスの焦燥」のこと

新保祐司氏の『シベリウスと宣長』の序文「純粋な冷たい水」のなかに、若い時に書いた『批評の測船』(1992年10月)で「シベリウスの焦燥」という小篇をしたためた、とあった。この中身が気になって、取り寄せて読んでみた。

次のようなことが、したためられていて、ああ、そうなのだなあ、と改めて納得した。

“シベリウスの音楽は、北方の音楽というよりも、正確に言えば、北方性の音楽と言うべきものなのである。ただ単に、北方という緯度の問題ではなくて、北方を志向するということ、北方にあってもさらに北方を志向するということ、その情熱から音楽が生まれてくるのである。それは、ほとんど焦燥と言ってもよい。ベートーヴェンは情熱から、シューベルトは抒情から、シューマンは憧憬から、ドボルザークは郷愁から、それぞれ音楽を生んだが、焦燥から音楽を作ったのは恐らく、シベリウスだけである。”

“ブルックナーがコーダにおいてその全才能を発揮するように、シベリウスもコーダがすばらしい。というよりも、シベリウスの音楽はコーダのためにあるとさえ言いたくなるのである。有名な二番シンフォニーを思い浮かべるまでもなく、コーダにおいては音が鳴るのではなく、世界が鳴るのである。”

“演奏記号のことで、もう一つ言えば、例えばヴィヴァーチッシモとかの、いわば究極的な形のものが多いということである。シベリウスは、いわば「チッシモ」の音楽家なのである。平凡なもの、普通のもの、平板なもの、「熱きにもあらず、冷かにもあらず、ただ微温(ぬるき)」ものに、我慢できないのである。これこそ、まさに北方性の精神の証しである。だからシベリウスの音楽は、クライマックスが美しいのである。”

“この焦燥の深さを聞きとらなければ、シベリウスの音楽とはあえて言えば、フィンランドの観光音楽に過ぎない。”

ぐうの音が出ない。
  

批評の測鉛

新保 祐司 / 構想社

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Commented by maru33340 at 2015-05-21 07:54
どの言葉もシベリウスの音楽を深くとらえているね。
五番の交響曲の最後のコーダは、まさに人間界を突き抜けようとしている。
Commented by およう at 2015-05-21 08:48 x
今朝の貴殿の記事、シベルウスの神髄が伝わってきましてまいりました(^_^)v
Commented at 2015-05-21 09:09 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by k_hankichi at 2015-05-21 21:10
maruさん、おようさん。この評論家は、ただものでは、ありません。感じ入りますです。
Commented by k_hankichi at 2015-05-21 21:11
体内の羅針盤がそうなるのですね。僕はまだまだ感応性が、足りないです。精進します。
Commented at 2015-05-22 09:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by k_hankichi | 2015-05-21 07:04 | | Trackback | Comments(6)

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