路地裏などをあてどなく彷徨い歩くことが好きだ。東京の街は、どの地区もそれぞれの風情があって、たとえ大都会のビル街であろうとも、興を削がれることはない。
そんな僕も、それ以外の街については知識がほとんどなく、もともと旅行不精であることもあって、どこか行きたい街といえばパリ以外には、あまり思いつくものがなかった。
そんななか、友人が曾て住んでいた町が主題になった短編集が、文庫本で出ていて思わず手に取り読了。ああ、パリの次に行きたい街はここなのだ、と論理を超えて思った。石川県金沢市と主計町(かずえまち)のことだ。『金沢あかり坂』(五木寛之、文春文庫)。
五木さんは、次のように書く。
“金沢はいつの間にか私を変えていた。もし十年あの町で暮らしたら、と私は思った。自分は二度と金沢から離れることができなくなるのではあるまいか。そういう怖さを感じさせる町が金沢だった。私はそこから逃げ出すために横浜へやってきた。金沢という町の目に見えない魔力のようなものが、怖ろしかったのだ。今、この列島の中で、そんな怖ろしさを感じさせる町がいくつあるだろう。”(「小立野刑務所裏」より)
また、このように書かれている坂を、いつか必ず訪れてみたい。
“主計町にはあまり人気(ひとけ)のない二つの坂があった。坂というより、折れ曲がった石段である。尾張町の泉鏡花記念館から浅野川ぞいの主計町にでるには、この隠れ路をつかうのがいい。一つは左へ、久保市乙剣宮の境内をぬけて、暗がり坂の石段をおりていくコースである。石段の下はすこし広い路地になっており、左手に主計町の検番、すなわちこの茶屋街の事務所と稽古場をかねた建物がそびえている。右手にも「月のしずく」などすこぶる風情のある古風な家並みがつづく。いわゆる主計町茶屋街のヘソにあたる一画だ。・・・(中略)・・・暗がり坂をおりてこの主計町にぬける道のほかに、もう一つ、あまり使われない坂がある。乙剣宮と反対のほうへ少し歩き、左へ折れて佃邸の前をすぎ、さらに道なりにたどって一葉の堀を右にまがると、不意にぽっかりと穴のようなせまい石段が目の下にあらわれる。左右に家の軒がせまり、石段も急である。そこを降りていくのは、どこか地底に沈んでいくかのような下降感覚があった。”(「金沢あかり坂」より)