この作家の作品を読んだことがなかったと思う。書店の店頭でふと気になって手に取ったら、彼女は昨年の八月に紫綬褒章を受章し、そのあとすぐに亡くなっている。まさにその直前に纏められたエッセイ集がこの作品で、だからこれは彼女の遺作だった。『少し湿った場所』(稲葉真弓、幻戯書房)。
この人の感性は凄かった。たとえば次。
「冬の光を、衝撃的に美しいと感じたのは、フェリーニの映画「道」の中の一シーンだった。ジェルソミーナが、人買いであり夫であり芸の親分であるザンパノに、人気のない雪の道に捨てられるあのシーン・・・。病んだジェルソミーナの体に、薄い午後の光がさして、それはとても豊かとはいえぬ荒涼とした土地にさす貧しい光であるにもかかわらず、見る者の胸いっぱいに、オペラのアリアのように染み込んでくるのだ。」(「冬の猫」より)
次のように教わることも多い。吉屋さんの著作をさっそく注文してしまうほどだ。
「私は『花物語』などの少女もの以上に、彼女が書いた「男」の話が好きだ。女流文学者賞を受賞した名作「鬼火」には貧しい女を追い詰め自殺させるガス集金人の男が登場するが、この男の卑しい欲望をあぶり出す筆致や、やはり名作(と私は思う)の「鶴」。この作品には、東京九州の火炎地獄から自分を助けてくれた女を裏切る男が登場する。あるいは高原の別荘地を訪れた帰還兵の若者が、別荘の「坊ちゃん」になりすます「生霊」。競輪に凝って、大切な茶碗の売金を使い果たしたあげく気が狂う骨董店の番頭の零落話「茶怨」など。生の道を踏み外していく男たちの、得体のしれぬ衝動と熱を描いたこれらの作品は吉屋信子のもうひとつの魅力となっている。」(「母娘二代の吉屋信子」より)
そして自分と同じ次のような気持ちを持たれていることに、意味なく深く安堵をする。
「そんな経験をしながら、私は台風が好きだ。非日常の衣をまとった大きなものが、空気を引き裂いて近づいてくるときの高揚を、御すことができない。急いで家に帰り、窓から荒れ狂う空や木々を飽かず眺める。テレビの中で砕ける海の波にうっとりとする。そして、翌朝。あの突然の静けさがやってくる。空の青さ、折れた木々の匂いの中にも昨日と違う静けさが満ちていて、まぎれもなくそれは、風に運ばれてくる秋の気配なのだった。」(「台風」より)
この人の著作をもっと訪れてみたい。