今朝目覚めた僕は、身体全体が重くなっていることに気付いた。グレゴール・ザムザのことを思い出した。
あのザムザは、変わり果てた身に驚き、自らを繕って隠したり、抗弁をしたり、悲哀とそして愛との葛藤に向かってゆく。
僕の場合はどうだ。この、手足の末端まで身重感に満ちあふれているいま、全ての動作は緩慢で怠い。抗弁したり画策する気持ちも湧かない。
たおやか、とか、穏やか、といった感覚ではなく、ふてぶてしく、鈍感としか言えぬ感覚である。
どうしてこんなことになってしまったのか。記憶の螺旋を辿っていった。
考え直してもそれは瞭然だった。『とんこつらぁ麺・だるまのめ』の「味玉だるまらぁ麺」。
日曜日に味わっていた。ああっ、それだけにしておけば良かった。
昨晩、人に誘われたとき、あの風味絶佳な香りと食感を思いだしてしまった。
ふらふらと導かれるままに付いていってしまったのが運の尽きだった。二日続けてのトンコツらぁ麺。
しかし、味玉だるまらぁ麺は旨かった。素麺かと思うほど細い麺。絡み付く工芸品。薄味で背油が少なく、西洋のスープのような淡白さでしかし芳醇。
あの麺と汁が繰り出す空間に「舞踏への勧誘」という曲を思い出したのだけれど、今朝のザムザは豚の骨と化していて、とうていワルツなど舞うことは出来なかった。