穂村弘のエッセイを読むと、ああ、男という動物には同じ血が流れているなあ、といつもつくづく思う。『異性』(角田光代、穂村弘、河出書房新社)もそうだった。
このエッセイ集は、角田光代がお題のエッセイを書き、それに対して穂村が答える、という対歌形式のものだ。女性が異性に対して普段感じているさまざまな事柄を、男がどのように感じ考えているか、ということが浮き彫りになる。
“そういえば、女性がよく云う「或る日、何かのきっかけで生理的に受付なくなる」みたいなことも、男性の口からはきいたことがない気がする。これに関連して思ったのは、男性は過去の出来事や昔の思い出を自分の資産のように感じやすい、ということだ。若いころの武勇伝を自慢げに語るとか、わが青春に悔いなしみたいなことを云い出すとか、いずれの男性にもありがちだ。「一回好きになった人を、よほどのことがなければ嫌わない」のも、それが既に自分の資産目録に載っているからじゃないか。”(「幻想ホルモン」から)
“古くからの友人でもある女性歌人のSさんとの対談を終えて、エレベーターに乗っていたときのこと。同乗していた担当の女性編集者が変わったかたちのスカートを穿いていたのだが、私はそれに目を留めて云った。
ほ「それは、えーと」
編「バルーンスカートです」
ほ「あ、バルーンスカート」
編「はい」
ほ「バルーンスカート」
編「・・・・」
そのときSさんが強い口調で云った。
S「繰り返したね」
ほ「えっ」
S「二回目の『バルーンスカート』は何?」
ほ「うっ」
私は何かを見透かされたようで恥ずかしかった。最初の「あ、バルーンスカート」は自然な反応。でも、二回目の「バルーンスカート」はちがう。そう唱えることで、それを所有するような感覚を密かに、というか、殆ど無意識に味わっていたのだ。”(「言霊的所有感覚」から)
おー、われわれは、こういう習性をもった動物なのだ。幻想に幻想を重ね、言霊の響きのなかに世の中を定義し支配しようという欲望にうごめくのだ。
百万年も前から受け継がれたこのDNAを、これからの未来の何百万年も受け継いでいく、俺たちはその役目を果たすのだ、と思った瞬間、まさに僕も男の幻想のなかにいることに気づいた。