今朝の新聞に、旅絵師としての藤田嗣治の記事があった。書き手は藤田の専門家である林洋子だ。
1930年代。藤田は20年ほどのパリ生活を捨てて2年間、南米の諸国を旅したという。そのころに彼は行く先々で、それぞれの土地の風俗をモチーフに濃厚な作品を描いたという。
その裏にあった彼の気持ちはなにだったのか。林は、それぞれの土地、それぞれの時を記録しよう、文化を描き尽くしたいとする、強い衝動と情動だったとする。
そう知ったとき、そこには同じく中南米を旅した堀口大學に通じるものがあるように思った。
藤田は絵画を通じて、西欧のきらびやかなる世界だけでなく、さらに広い人類の、生きる慟哭まで描き尽くそうとしたのかもしれない。
その深い情動が、藤田の戦争画につながったとするならば、軍部協力者として日本の画壇から突き上げをくらったときの彼の落胆ぶりが、どんなものだったか、推し測ることができる。
「大地」をそう思って眺め、戦争画にそういう背景を知って目を凝らしていくと、違ったものが見え始めるとわかった。