今年の小説の中で最も素晴らしかったものに『火山のふもとで』(読売文学賞受賞)があるが、その作家の松家仁之は、かつて新潮社の編集者をしていて、その彼が「新潮クレスト・ブックス」を企画・創刊した人だということを、ようやっと知った。
このシリーズは海外の小説を続々と紹介してくれていて、肌触りの良いフランス装でいつも僕を楽しませてくれている。シリーズ創刊後15年が経たということで、その記念の短編小説集(松家による選)が、『美しい子ども』だ。
今回の発見は、ディミトリ・フェルフルスト。表題作ともなっている「美しい子ども」は、ベルギーのフランダース地方の人々の庶民のくたびれたしかし生々しい生活の実情を知ることになる。汚らしさのなかに美しさを憧れる心があり、美しさの裏にグロテスクな人間の欲望がある。
そしてやはり秀逸なのは、ベルンハルト・シュリンク。「リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ」には舌を巻いた。
父親と長年に渡って、心を開いた会話ができない息子がいる。父親が若いころ何故キリスト教に入信したのか、ということを息子は尋ねるが、父は多くを語らずにはぐらかす。そんな彼は、引退した父と二人で、リューゲン島を訪れ、バッハの連夜の演奏会を聴く。
そのなかでも父親からの答えは十分には得られないが、家に戻る途中の車中で、父親の横顔を見た瞬間、息子はその答えを言葉なくして知る。
バッハが、父をそう変えたのだということ。宗教を信じることになったその理由はバッハだったということを、静かに暗喩するこの作品は、文句なしに素晴らしかった。
■内容
「非武装地帯」 アンソニー・ドーア 著
「地獄/天国」 ジュンパ・ラヒリ 著
「エリーゼに会う」 ナム・リー 著
「自然現象」 リュドミラ・ウリツカヤ 著
「水泳チーム」 ミランダ・ジュライ 著
「老人が動物たちを葬る」 クレメンス・マイヤー 著
「美しい子ども」 ディミトリ・フェルフルスト 著
「ヒョウ」 ウェルズ・タワー 著
「若い寡婦たちには果物をただで」 ネイサン・イングランダー 著
「リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ」 ベルンハルト・シュリンク 著
「女たち」 アリス・マンロー 著