自分で作ることができる料理は、カレーライスや缶詰め応用の一品くらいで、料理を作ることができる人には尊敬の念がある。
たった一度だけ、一念発起して日曜料理教室に行ったことがあったが、魚を三枚に下ろすところで、もちまえの不器用が露呈し、寿司を握ればぬちゃぬちゃな無残ものが出来て以来、魚肉ソーセージかチーズを切るくらいしか包丁を握らない。
気短かさは、もう直らないと覚えた。
そんな僕だから、脱サラをして蕎麦屋をやっている人には尊敬を通り越して畏敬の念がある。特に難しい十割蕎麦を作り続けている人には。
近所にあった十割のその店は、あることで移転してしまった。
またあの十割蕎麦が食いたい食いたいと、その味を思い出している。思い始めたら、合う酒はどんなだろうとか、献立を思い出してみて、酒の当てを考える。
十割蕎麦を求める彷徨が始まりそうだ。