空想に入るときの時間の流れの心地よさ・・・『アイロンと朝の詩人』(堀江敏幸)
疲れた頭で茫洋としている瞬間や、はっとするほどの美しさに出会った瞬間に、いろいろな想い、それは記憶とも空想ともいえる内容なのだが、それが頭のなかをゆっくりと駆け巡り、しばしその世界に浸ってしまっていて、しばらくしてようやっと我に返ることがある。
そういった時間のことを、ゆっくりと辿るように、行きつ戻りつするように表現することが上手いのが堀江敏幸で、それを味わうことができる『アイロンと朝の詩人 回送電車Ⅲ』(中公文庫)は楽しかった。
眼前の風景が失せ空想に浸るときの心地よさは、表題作の小篇がやはり秀逸で、フランス語の教室で、教え子が「彼女はスラックスのうえを行ったり来たりする」という意味の言葉を発したところから、そうなってゆく。
「ファラオの呪いが町田まで」という小篇も、疲労困憊した男が朦朧としたなか、行く先を定めぬままさすらう旅の話だ。狛江で適当に選んだ路線バスに揺られて、武蔵境、高尾山、相模湖、橋本、そして町田と乗り継ぐさまは、もう得も言われぬ夢の中の話のようで、ぼくは深く心地よいため息をついた。