『音楽のおしえ』(高橋悠治、晶文社)を読んでいる。
作曲家でありピアニストである高橋がいろいろなところで書き連ねたものを集めたものだ。散文詩のように美しい。いくつか拾ってみる。
「バッハは失敗した。かれはしばらくわすれられていた。・・・(中略)・・・失敗であったというもうひとつの理由は、作品にまとまりのないことだ。<平均律クラヴィア>はたいへんムラだし、<フーガの技法>は未完成で、<ゴールドベルク変奏曲>はとても注意ぶかく計画されたが、全体をききとおすのは不可能だ。・・・(中略)・・・かれは完全な作品をつくることができずに失敗したが、それはよいことでもある。完全な作品はとじたへやのようなもので、きき手の想像力にはたらきかけない。未完成にのこすのは、全体に風をあてる窓をあけるようなもので、その方がよいのだ。」(『失敗者としてのバッハ』)
「作品の作者にとっての意味は、しごとをはじめたときの具体的な条件が、はじめのおもいつきをかえてゆくプロセスにある。1975.1.23鎌倉」(『時空の網目をくぐって』から)
「目にみえる中間地帯へまず拡張しないで、ひとりの経験をみんなのものとすることはできない。コントロールできる領域内での実験をとおさずに、いきなり理論化された個別的行動は、自意識にむすびついたままで全体を支配しようとする。経験によればこうでなければならない、という主張は、経験のではなく、自己の絶対性を強調している。人間はめぐりくる冬からたくさんのものをとりだす。おもたい雪がかれをまげてしまうとしても。1974.11.28ニューヨーク」(同前)
やはり、高橋は孤高のアーティストだ。