内田光子のベートーヴェン第31番:優しさと、そして満足に近い安堵からなる世界
ベートーヴェンのピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110について、友人が聴き浸っている。僕は内田光子とグルダの音盤しか持っていないが、内田を好む。
CDのジャケットは、内田がムンクの『叫び』のようなポーズをとっている、ちょっと不思議な写真なのだけれど、その中身は、柔らかなるベルギーのレース布が風にそよぎ頬を撫で続けるような優しい演奏だ。
件の第三楽章はちょうど11分55秒かけている(アダージョ+フーガ)。友人が聴いているピアニストたちのどれよりも長いようだ。とてもゆったりと聞こえる。
この楽章は、心のうちに入り込んでくる過去のさまざまな思い出を、ゆっくりと咀嚼し、反芻してゆく。悲しみという気持ちではなく、そうだそれで良かったんだよと目に見えぬ何かと対話している。
午後の日差しが傾き始めたころ、淡雪が舞い降りているような雰囲気がある。これまで生きてきた日々を振り返りながらも、そうそれで良かったのよという声に安堵してゆくような優しさがある。
フーガの半ばで、「嘆きの歌」が悲しみを増した形で投げ掛けられるが、内田のピアノは決して深く苦悩しすぎない。そして晩鐘が鳴り、陽が沈むのが近いことを示したところで、あわあわとまた色々な思いが蘇ってくる。そこには爽やかなる充実感が込み上げてきて安堵して、そしていつのまにか物静かに目を閉じている。
曲の冒頭に戻ろう。
第一楽章は、前述したように柔らかなレースが頬を撫でるように第一主題で始まり、ずっとその優しさが保たれる。野原で蝶々がひらひらと飛び交う平穏な、ひなびた田舎の風景だ。上昇音階と下降する音階が交わる第二主題も、それは戦いではなく諦観からなる。
第二楽章は、「おいみんな、踊りの時間を始めるよ」と楽団がちょいと威勢をつけるかのように始まる。「ええ、さあ輪に入りましょう」と、仲のよい地方都市の貴公子と貴婦人が、それぞれの歩調をしずしずと合わせてゆく楽しげな姿を見せている。そしてつかのまの宴は、いつのまにか終わってすこし虚ろな感覚が残されてゆく。
内田のベートーヴェン第31番は、優しさと、そして満足に近い安堵からなる世界なのだ。
曲目:ベートーヴェン ピアノソナタ第30,31,32番
録音:2005年5月12〜20日、コンサートホール@スネイプマルティングス、サフオーク州、英国
音盤:英デッカ4756935