圧倒的なるストーリー展開・・・『マルセル』(髙樹のぶ子)
『マルセル』(高樹のぶ子、毎日新聞社)を、昨日からぶっ通しで読んでいた。今日も朝からリビングダイニングのテーブルを前にして全く同じ姿勢で読み続け、さきほど読了。ストーリー展開に圧倒され、読みながらも度々深くため息をついた。「これから昼ご飯にしようとしているのに何でため息をつくの?」と、お皿や料理を並べていた家人から、有らぬひんしゅくまで買うオマケまで付いたほど。「ん~、本・本」と言ったが通じたかどうだか。
友人が、“久しぶりに、物語の構えが大きい、読み応え十分な大河ドラマ”、と言っていた通り、圧倒的なストーリーの構築性と、リアリティが交錯する素晴らしい小説だった。実は僕は、この人の作品を読むのが初めてで、だから知らなかった自分を恥じた。
京都国立近代美術館で、「ロートレック展」は実際に開催されているが(1968年11月9日~12月25日、好評につき27日まで延長)、その最終日の朝を迎えると、彼の代表作の『マルセル』が盗難されていた事件が起こった。これを題材に描いた小説だが、もはやノンフィクションとは思えぬほどのリアリティで、僕はおそらくしばらくロートレックといえば、この小説の展開のことが頭をついて離れないだろう。
“ミステリー”の範疇に入る作品なので、ストーリー展開についてはここでは書かないが、脇を流れる傍流のように交錯するプロットにも、とても繊細な感受性があるなあと思った。
主人公の千晶が住むのは千駄木。事件が起きる界隈は、京都の左京区北白川小倉町。そして新たな展開がパリのカルチェラタンやトゥールーズで起きる。どこをとってもその場所の空気の香りが漂ってくる。また、次のような記載は、ごくごくさり気ない夏の風情を表すようでいて、東日本大地震と津波のことを深く思い遣る嘆きにつながっている。
“団子坂にも夏が来た。朝だというのに、坂の上から熱気が滑り下りてくる。
自然はなんて無情なんだろう。人間は自然を擬人化し仲間のように扱うのに。
たまには雨も降る。それを慈雨と表現しても、雨に慈愛があるわけではなく、そのようにしか降ることができないだけのこと。
海はすべての命が生まれた場所なのに、残酷に命を奪っていったではないか。”
(「第四章 迷」より)
一方で、恋愛の伏流もある。その感覚は、とてもしんなりとしている。たとえば、次のような描写。
“「高いとこ行くと、沸点が低うなりますから」
何の話だろう。考えるのも面倒だ。
「ほら、ヒマラヤに登ると、六〇度ぐらいで水が沸騰するそうですから」
意味不明で、真意も解らないけれど、穏やかな心地になる。”
(「第二章 惑」より)
「考えるのも面倒だ」とまで言わせるその背景を考えると、それだけでも舌を巻く。
この長い小説を読んだあとは、無性に、フランス製のパーコレーター(僕は持っていないのだけれども)でコーヒーを飲みたくなる。近いうちに、きっと飲んでいるだろう。
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■以下、京都新聞 1968年12月28日付朝刊より