小説の世界を期待してはならない・・・普通のエッセイ『お友だちからお願いします』(三浦しをん)
こんなときに本を読むと、却って知恵熱になってよくない、ということもあるようだ。しかし、じっとしていてもどうもいろいろまた考えを巡らしてしまうので、ええい、と軽めの本を読む。三浦しをんのエッセイだ。『お友だちからお願いします』(大和書房)。
小説や書評はとても(あまりにも)面白いから、どういう按配かなという感じで訪問したが、意外にあっさりとしたものだった。なーんだ、という感じもあるが、いまの体調ではこのくらいがよろしい。
いくつかの口惜しい事象が三浦の身の回りに発生していて、たとえば歌舞伎を観にいったときに隣の席のオバサンからされる仕打ちがある。それに対して彼女は、「ちぇぇ」と書き放つ。こういう心情の吐露をするようなところは痛快だ。僕は以前、友人と携帯メールで予定を合わせるやりとりをしていたとき、どうも都合がつかず、「ちぇっ」という返事を貰ったことがあって、「こいつは文章の天才だ!」と思ったことがあったのだけれど、それに匹敵する。
そして表現力の鋭さは、銀座の「資生堂キャラリー」の階段の照明やらデザインのことを、「オシャレな産道」といった印象だというところ。おもわず行ってみたくなる。
一篇だけ選べと言われれば、それは、「夜の多摩川」というエッセイで、それは、つぎのような言葉で始まり、そして結ばれる。短いけれども大変よい。
“多摩川にかかる橋を夜に車で渡るとき、なぜか必ず、すでにこの世にはいないひとたちのことを考える。・・・(中略)・・・たとえば真っ暗な森のなかに立っても、私はこんな懐かしさとさびしさを感じないだろう。まじわることなく点在する光。そのさびしくあたたかき輝き。”
車で東京から帰るとき、僕が覚える感覚が蘇った。あの空間の量塊の大きさ、そこにあるなんとも言いようのない哀愁。しっかりと捉えることはできないけれど何かの存在を感じるあの感覚が蘇る。