『庄司 紗矢香 展』の本人のステイメント(これも凄い)
PUNCTUMというギャラリーのHPに、2009年5月22日(金)~6月13日(土)に行われた庄司紗矢香の展覧会の記録があり、庄司はそこで、絵を描くことについての自らステイトメントを寄せている。全文になるが、敢えて転記させてもらう。もう、何の説明も不要だ。この人の音楽と、そして絵画やArtへの造詣の深さに頭が下がる。そして加えて、文章のクオリティの高さよ。なんと凄い人なのだ。
以下の引用元はすべてココ→
http://www.punctum.jp/shojisayaka_jp.html
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「音楽と絵画」 庄司紗矢香
音楽はいつも私にとって不可欠であったし、これからもずっとそうであることは確かだ。
ヴァイオリンを習い始めた頃でひとつ覚えているのは、自分からこの楽器を欲したという事。しかしヴァイオリンという美しい楽器の音の魅力やそのユニークな奏法を超えて私を魅了したのは、舞台に立つ演奏家の姿というより、ただその音と音楽が私たちに与える「世界」そのものだった。その「世界」は見知らぬ土地のように神秘的で、私に心の内での旅を夢見させてくれた。
ヴァイオリンを始めてから間もなく、画家である母のもとで絵も覚えた。当時私は母の横にイーゼルを並べよく一緒に油絵を描いていたが、15歳で青りんごとソーセージの国に旅立ってからは高校の授業とヴァイオリンとドイツ語の勉強に追われ、ギムナジウムの美術の授業以外では描くことはなくなっていた。
でも私が8年間過ごしたケルンの街には、近代的なコンサートホールやローマ遺跡の他に、近代美術館と古い映画を上映している映画館がひとつずつあって、お気に入りの作品やまだ知らぬ作家を探すべく順繰りに訪れたものだ。また、演奏旅行に出るようになってからは、鞄に本を一冊入れて、時間に余裕ができれば美術館に出かけることをやめなかった。そこで出会った数々の「世界」は、私に幼いころ夢見たものを思い出させてくれ、再び新鮮な気持ちで音楽に向き合うことを促してくれた。そうしているうちに十代後半には、演奏するとき私が見る映像を実際に目に見えるものにしたいという漠然とした夢が私の内で出来上がっていた。
音楽大学を終えてふと周りを見渡せばいろんなものが見えてきた。自身を含めて閉鎖的になりがちなクラシック音楽界の見えない扉、芸術がイメージ先行の商品になりつつある時代に疑問をもつアーティスト。パリに引っ越したのも音楽の映像化という夢に加え、そんなミネストローネのようにごちゃまぜな思いを抱えてのことだった。演奏会とその準備の合間に美術館やビデオテック、ギャラリーを巡り、数々の友人に出会えたことで美術評論家のマリー・ドゥパリ・ヤフィルを知ることとなった。私の夢を話し、彼女と一緒にビデオ・アーティストを探している頃、ある晩ひとつのフレーズが頭の中で鳴り続ける中、再びキャンバスに向かった。するとその時初めて、描くことによってその音楽と自分の無意識的なつながりが見えるのを知って驚いた。
クラシック音楽における「演奏」=インタープレテーション(解釈)とは、作曲家のメッセージを伝えること。言ってみれば音符を読んで弾くという、見方によってはとてもシンプルな作業だ。でもそこには、必ず「演奏家の想像力」が加わり、それによって音楽ががらりと変わるのが面白いところ。だから時には演奏家とは想像力の仕事だとさえ思えてならない。ヴァイオリンの演奏が私にとって第一のインタープレテーションとするならば、その音楽の内に見えるものを絵画や映像で表現してもみたいという願いは、私に第二のインタープレテーションとしての新たな扉を開いてくれた。私はこの個展が音楽と絵画をそれぞれ愛する人たちの自由に行き交える扉ともなってくれればと願っている。
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