見えそうで見ない、触れそうで触れないところがよい…『向田邦子のかくれんぼ』(佐怒賀三夫)
向田邦子についての懐古録のようなものだった。しかし彼女の作品への評価は鋭い。『向田邦子のかくれんぼ』(佐怒賀三夫、NHK出版)。
次のように言っている。
“今日の日本人の多くが「文明の現況」において、メディアの単なる道具と化した言葉、表現を、どう内発的に回復し、生命感をとり戻すか、額を集め、あれこれ智恵を絞っている折、向田ドラマはそのほとんどがありふれた営みの表皮の忠実なドキュメントである。見る側への訴えかけも具体的だが、その何気なく見えているものの中に深遠があり、人間のあらゆる営みが詰まっている。誰にでも出来る業ではない。”
全体のなかのある瞬間やさりげない仕草を描きながら、内面に詰まっている心の内をふわりと浮き上がらせる手腕があるような気がする。見えそうなところを敢えて視線は追わず、触れそうなところを躊躇いつつも触らない。そんなところがある。
実は僕は「向田・久世コンビ」のドラマをそれほど深い目線で観てこなかった。だから、この懐古録にあるような出来事の数々を知るにつけて、実に惜しいきもちになる。向田さんの死後、年一回新春に、久世が、脚本に金子成人らを起用し作り続けた「向田邦子シリーズ」(TBS)が最も理想的な結実だとしているが、これもきちんと観てきた記憶がなく、後悔千万である。