ページを繰ると紫煙が薫る小説・・・『ぼくらのひみつ』(藤谷治)
下北沢のその店で買った本は、いつもページとページの隙間や天の部位から、仄かな紫煙の薫りがする。『ぼくらのひみつ』(藤谷治、早川書房)もそうだった。
それは実に不思議な小説で、いつまでたっても2001年10月12日(金)午前11時31分から時間が進まない話だ。そしてそのなかでさらにつじつまを合わせないような話が、折り重なっていく。
圧巻は、付き合っていた女の子は、ほぼすべての会話を、ヴァージニア・ウルフの小説のなかの言葉から紡いでいたというエピソード。どこをとっても、会話がかみ合わない。しかしそれでも時間は流れてゆく。
男:「あなたとは中学校で同じクラスでしたよ」
女:「そう、もちろんよ、もし明日が晴れだったらばね。でも、ヒバリさんと同じくらい早起きしなきゃだめよ」
男(だんだんいらだつ):「一体、何の話ですか。」
女:「まあ、アーネスト!」
はじめの女の言葉は、『灯台へ』(御輿哲也訳、岩波文庫)、最後の言葉は、「ラピンとラピノヴァ」(『ヴァージニア・ウルフ短編集』所収、西崎憲訳、ちくま文庫)からだと、男はずっとあとになってから気づく。
小説のなかの言葉を、ふつうの会話のなかで混ぜて返してくる男や、そして女。僕にもそういった友人知人がいて、そういう人のことは文句なく好きであり、また、自分でもそういうことをしがちであるだから、これには親近感がある。しかしそれはそれで続けていると、やがてとても疲れてくる。なのにこの小説の女は、どこまでいても疲れない。時間が止まっているからなのか。
なんと面白おかしいことなんだと思いながらページを繰っていくうちに、話はどんどん飛び火して、やがていったい何が主題なのかわからないほどになっていた。これは、いわゆる夢についての小説なのだ。
藤谷治、依然、侮れぬ。