アントニン・レーモンドの呼応・・・『ワシントンハイツ』(秋尾沙戸子)
代々木公園は、戦後、ワシントンハイツだったことは知っていた。米国軍人専用の住宅地だ。それにまつわる戦後の東京史が、この本『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』(秋尾沙戸子、新潮文庫)だ。
街角道路歴史書か、とすわ買い求めたのだったが、米軍の思考や行動、また市民の生活、世相を描いた硬派の社会史本だった。
このなかで、アントニン・レーモンドという名前に二度びっくりした。
一つ目は、それが大学生のころ、ビル建築現場作業のアルバイトをした、そのビルがその人の家だった(場所は参宮橋だった)。
そして二つ目は、実は彼が東京を始めとする都市に落とされた焼夷弾の開発に加担した人で、しかし戦後はワシントンハイツにもからんだり、日本の様々な建物の建築を手懸けたひとだった。
ワシントンハイツは東京オリムピックの選手村に転用されたあと、現在の広大な公園に作り替えられた。
憩いのうらには、さまざまな忠誠心や誇り、羨望や憧れが隠されていた。