新宿歴史博物館で展示されていた写真を眺めながら、あれ、と違和感が生じた。新宿3丁目の伊勢丹デパートのビルが現在の1/4ぐらいの大きさなのだ。明治通り側には、別の建物があり、また、いまの駐車場ビル側は、市電のターミナル車庫(方向転換するための引き込み線基地)になっている。
すこし調べていたら、まずはじめに3丁目の交差点の角に建ったのは、ほてい屋(布袋屋)という名前のデパートであり(1926年[大正15年]で博物館の展示資料では食堂が有名だったとある)、その後、1933年(昭和8年)に伊勢丹がその隣に建ったらしい。その後、伊勢丹はほてい屋を買収しビルを一つに繋げて合体させた。この状態で現在の1/2ほどの大きさになる。
現在の大きさになったのは、1957年(昭和32年)だそうで(もちろん件の都電のターミナル車庫を撤去してのことだ)、比較的あたらしい。
百貨店の老舗だった三越と高島屋に対抗しながら、いわば二流三流の地に根を生やした伊勢丹が現在のステータスまでのぼるには、時代のセンスをつかむ力があったからなのだろうが、新宿と言う土地が文人や芸術家を集めたからだけでなく、西東京の私鉄沿線に居を構えたサラリーマン家庭の人たちの乗り換え駅という地の利が最大に生きたのだともいえる。
昨日はこの博物館で
『新宿風景―明治・大正・昭和の記憶―』という豪華な写真集(200ページ、しかも僅か1000円)を買うことができるという幸運もあり、ふたたび過去の軌跡に想いが巡るいまである。
※以下のWebに、新宿3丁目界隈の変遷の経緯が詳しく記されている。
新宿大通商店街振興組合→
http://www.shinjuku-ohdoori.jp/h06-01.html
MORISHINS MEW (ARCHITEC) →
http://www.morishin-web.com/photo/tokyo/isetan/photo_isetan.html
「ハマちゃん」のがらくた箱→
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tizu-isetan-1.htm
"MORISHINS MEW (ARCHITEC)"には、このほかにも近代建築の粋が記載されていて非常に興味深い。→
http://www.morishin-web.com/
"「ハマちゃん」のがらくた箱"は、種々の情報が体系的にまとめられ考察されており、街角探検的にただただ頭が下がる。→
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/