僕の年齢も50をすぎ、身体的にはなにかこの先の変化への片鱗を垣間見つつある。
先週の出張中も、急に腎臓に鈍痛が走り、そこからまったく酒が飲めなくなり、その様相に気付いた同僚が「大酒飲みがいきなり飲めなくなるとはただごとではなさそう」と宿まで送ってくれた。
酒を飲み過ぎて介抱されたのではなく、飲まな過ぎて介抱されたのは初めてだった。
人間の生には、枯淡とか黄昏時とかいう時期がやがてくる。円熟と言い換えることもあるかもしれない。
身体の変化に気付き自覚しはじめたときどうするか。今朝も通勤のなかプルニエによるバッハの無伴奏チェロ組曲を聴きながら、しみじみと考える。
そして思う。やはり酒をのまんとす、さすれば自明に悟りありや。