『それでも、生きてゆく』…最終回がようやく腑に落ちた
「私の繋いだ手のその先にあなたの手がある。進め、進め」
『それでも、生きてゆく』(フジテレビ)の最終回はこう締めくくられた。疾風怒濤のように展開してきた最後は、微かに想像したそれぞれの至福の幸せや、あるいは更に心の底を抉るような悲しみやグロテスクな凶行もなく、ちょっとあっけないほどで、僕は放置されてしまったかのような気持がした。
しかし、数日しばらく考え続け、もう一度観返ししたりして、頭のなかでぐるぐる廻ってきたことがようやく腑に落ちはじめた。
母に「生まれてこなければ良かった」と言われたまま先立たれて取り残されてしまった三崎文哉(風間俊介演じる)は、その言葉に触れるたびに、逆上し相手をあやめようとしてきた。彼のトラウマとそれによる罪は母を愛していることの裏返しである。そして母がどのような顔をしていたのかを忘れてしまったことが、彼の苦悩をさらに深めてきたということが、この回になって初めてわかってきた。深見洋貴に写真を見せられ、顔を想い出し、それによって初めて彼は自らの罪を悔いる道程を歩み始めるのだろう。
遠山双葉(満島ひかり演じる)は、これまで表では兄を支えるふりをしながら、被害者家族の視線や心情に恐れおののき、「加罪者の不幸なる妹」ということに納まり、罪を人のせいにして世間の目から逃げてきた。しかし草間真岐の子供の母親代わりになることで初めて、逃げることなく兄の罪を家族として償い、そして、胸を張って自分の生を生きてゆこうとする。
三崎駿輔(時任三郎演じる)もまた、息子を異端者として扱い逃げてきた者の一人である。しかし彼はついに決意し、刑務所のすぐ近くの鉄工場に住み込み、働きながら毎日息子に面会しにいくことで、彼を見捨てず共に歩んでいく。
深見洋貴(瑛太演じる)は、双葉への想いを胸に刻みながら、彼女への手紙を綴りつづけそれを木の枝に託す。双葉も、おなじように彼への手紙を綴りつづけ、それを木の枝に託す。そして二人ともに、15年前から止まったままになっていた「前に進むこと、生きてゆくこと」ということを再開する。(洋貴がビデオを返却するのはそのなかのひとつの作業にすぎない。)
このドラマでは、言葉を発しない表情やしぐさだけでのシーン、無言のなかでの涙をさそう演技が数多くでてきたが(今回も双葉と洋貴のシーン[釣り舟屋「ふかみ」での告白やデート後の公園での別れ]がそう)、ふたりが各々に木の枝に託すことを説明的なものを加えずに表すことで、その行く末を象徴的に無言のうちに示唆しようとしたのだとおもう。
辛いことがあっても、悲しいことがあっても、人を憎むことがあっても、どうしようもない状態になっていようとも、止まってはならない。それでも生きてゆく、それぞれのやるべきことに正面から向かい人生を生きてゆく。そういうことが、ようやく、よくわかった。