2011年 08月 28日
こんなに知ってしまって良いのだろうか『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』(オリヴィエ・ベラミー)
こんなにアルゲリッチのことを知ってしまって良かったのだろうか・・・。これが深いため息とともに読後に思ったことだった。
幼少時代から出会ったそれぞれの師たちから吸収していったこと、そして師に影響を与えていったこと。クラウディオ・アラウがアルゼンチンで弾いたベートーヴェンのピアノコンチェルト第4番ト長調を聴いた際のことは有名だけれども、そのあとに数々の名演奏家との出会いと触発啓発があった。
フリードリッヒ・グルダによってウイーンに学ぶ計らいをしてもらい、マドレーヌ・リパッティ(亡きディヌの妻でこれまたピアニスト)にも師事し、クララ・ハスキルに出会い、そして1957年のブゾーニ・コンクールとジュネーヴ・コンクールで一と月を開けずして連続して優勝をしてしまうこと。引き続いてのヨーロッパ・デビュー後4年を経たずして、演奏活動から身を引いてしまったこと。そしてミケランジェリのもとに1年半も留まったにもかかわらず、その間わずか4回しかレッスンをうけなかったこと。
思春期以降の恋愛の遍歴。3人の娘(リダ・チェン、アニー・デュトワ、ステファニー・アルゲリッチ)のそれぞれの父親(ロバート・チェン、シャルル・デュトワ、スティーヴン・コヴァセヴィッチ)とのことも、ここまで知ってしまうと、もし隣に彼女がいたとしたら、なにか労いの言葉をかけてしまいそうになるほどだ。そんな一連のあとミッシェル・べロフが登場してくる。ああ知らなかった。絶頂期のべロフに襲った手の病気は、過労や酷使ということではなく、彼女との間の愛と音楽の力量についての葛藤による神経性ジストニアの可能性が大であったのだ。
そのような彼女の変遷を見守ってきたネルソン・フレイレ。いまも温かく彼女を支え共に音楽を昇華させる彼の姿勢にはただだた感銘する。
この書は、なんとも不可思議でしかし芸術家の間であれば常識的な恋愛関係の複雑さについても、サイドストーリーとしてそこここに散りばめている。アルゲリッチのパートナーだったスティーヴン・コヴァセヴィッチは、ジャクリーヌ・デュ・プレの最初のパートナーだったということ{バレンボイムの前)。そしてそのダニエル・バレンボイムはアルゲリッチが多く競演するバイオリニストのギドン・クレーメルの最初の妻(エレーナ・バシキローヴァ)と再婚していること。
まだまだある。アルゲリッチがシャルル・デュトワと別れたのは、彼がキョンファ・チョンと隠れて付き合っていたことが発覚したためであること。ピエール・フルニエの妻は、もともと同じチェロ奏者のグレゴール・ピアディゴルスキーと結婚していたこと、イーヴォ・ポゴレリチはショパンコンクウールで落ちた21歳の時すでにピアノの師でありずっと年長のアリス・ケゼラーゼと結婚していたこと。
こんなことまでも知ってしまっていてよいのだろうか、とこれについてもただただ驚くばかりだ。
(あんさん、こんなヘヴィーなもん読んで大丈夫かいな)
「生きるとはひとつの修羅なのだ」と改めて思った事である。